ゲイリーマンのカミングアウト的思考

長年サラリーマンしながらLGBT活動。45歳にしてフリー。同性愛者らが自分らしく生きられる社会を地方から目指す。ミラー版

?もしかして多くの人はバイセクシャルなのかも?

2005-09-04 00:37:43 | Weblog
キンゼイが自分にある同性愛傾向の部分を告白するシーンがある。
俺も同じようなことを考えていた、世の中の多くは実はバイセクシャルではないか?と。

ドノンケとドホモみたいな極端なのはそれぞれ1割程度でそれ以外のほとんどが本当のところはバイセクシャル。
同性愛部分と異性愛部分の割合はもう人それぞれで、この人は8:2 この人は4:6といったように様々な割合で無限の自然な調合で存在しているのではないかと思うのだ。

俺自身は限りなくゲイ指向だが、わずかに数%くらいなら異性に興味がもてなくも無い。そこに社会的な圧力が同性愛指向は駄目だ!!って同性愛部分を押さえているものだから大概の人はノンケぶっている。

本当にこの社会の圧力ってのが強烈で、9割がた同性愛指向の資質であっても1割の異性愛指向にすがって、はからずもノンケでいたり 情報不足から自分を理解できずに不安定でいる人もいると思う。

そんななか、同性愛部分を抑えられない人(俺のように自己主張の強い人?)は自我の強さによってゲイであると自覚にいたる?? という訳。

ということでバイセクシャルが実は多数派なのではないか?というのが俺の想像。

バイセクシャルでどちらの傾向が強いかはさまざまで無限の組み合わせの割合で存在している(人それぞれ)

ホモフォビア(ゲイ嫌悪感)な態度を表してしまう多くの人というのは、自分自身の内面にあるゲイ性に怯えているのではないかと思っている。

多数の人が本当のところはバイセクシャルであって、何%かそれぞれにあるゲイ性に怯え、バレないように、他人と違うことを隠すために態度で表している。
「ホモなんて気持ちワリ~!」なんて言ってるのは自分自身のことなのだ。

社会的な抑圧・制圧があることで自己防衛が態度や発言に表れて差別の再生産に加担していく。
その社会的な制圧は幼い時から何度も何度も刷り込まれる「男の子は男のらしく」「女の子は女の子らしく」「ゲイオカマの話題が出たらお笑いネタのスイッチオン」・・・
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする