会社、友達、知り合い・・これらのカミングアウトは結局のところ他人事だから大して気も使わなくてもいいのかもしれない。
親へのカミングアウト、これは一生かかる内容だ。
切っても切れない関係だけに、長い目で捉える必要がある。
しかし、いづれどうするのか決めないといけないときが必ず来る。
俺の親へのカミングアウトは21歳くらいか、就職してすぐだったと思う。
そのころ部屋にはバディなどゲイ雑誌は散乱させていて家族に信号は出し続けていた。
そういえば中学のときに薔薇族が親に見つかったことがあったが、当時問題にしてこなかった。
親は内心いつ本気になるのかと気が気でなかったようだ。
カミングアウトのきっかけは子供じみている。
当時付き合ってた初恋に近い奴との恋愛が不安定であったときに、母が俺の恋愛を否定してきたことに始まった。
抑圧的な教育指導の家庭に育った俺は親に対して怨念に満ちていたところもあった、そのタガが切れたように、なんと親子喧嘩から最終兵器のようにカミングアウトをした。
今でも大人げ無いな~と思うものであった。
そのことで、母親は狂乱し俺を責め立てたが俺もこんなきっかけであるとはいえ、どこかでやらねばならぬこと、と腹をくくって毎日話をしていくことになる。
ほとんど口を聞くことも無かった父親ともすぐ話し合いの場を持つことになった。
まあ就職もしたし、場合によっては勘当も受けて立とうと覚悟していた(相変わらず計算づく)。
しかし、父親は思わぬことを言い出す。
「お前が幸せに生きていくことが親の幸せだ、自分で抱え込まずにこれからは話してほしい。母さんには早急に展開させるな、徐々にだ・・・」などなど。
暴力的で体育会、まったく話にならない相手だと思っていた父親がすんなり理解を示してきた。
気が抜けると同時に父親の器量の大きさに本当に恐れ入って涙した。
母親は生理的に拒否をしていた感じだった、父親は頭で冷静に考えてくれた、すごいなと思った。
当時オウム騒動があったこともあり、俺の言っていることは母にとってはまるで宇宙人でオウムのようだと言われた。
でも、俺としては自分の尊厳にかけて話し込んで行く。
ゲイであることは自分自身の根幹だ。それを認めないのなら俺はあなたを認めることも出来ない!
そんな調子で俺が話せば話すほど母親は窮地に追い込まれるように耳をふさいだ。
でも、実の親に存在否定されたのではたまらないじゃないか!
何度も何度も切々と語りかけていった。
俺は近所に別世帯を構えて生活しはじめたが、あんまり酷い発言(俺の尊厳を完全否定したようなこと)が出たときはしばらく1,2ヶ月顔を出さず、母親に考える時間を与えた。
時が長いと親の方もさすがに折れて寄ってきた、子離れの儀式かと思うようにそれを繰り返しで数年間続いていった。
そんな繰り返しであれから15年経った。
今はやっと理解したというよりは諦めたといったところのようだ。
カミングアウトの前、俺が家族から去り、カミングアウトもせず田舎を捨ててめったに帰ってこないといった生活も考えてみた。
でもそれは違う!と結論していた。
そのことについては母親も悩んでいる間よく言われた
「黙っていてくれた方がマシだったのに。その方が親孝行だろう!」
「お前がすべて一人で抱えて墓場まで持っていけばいいのだ!・・・」
親のメンツのためにゲイを隠して生きていくことなど出来なかった。
俺は女性と結婚しないし、この家を継ぐ孫も用意できない。
このことはいずれ対峙しなければならないことだからと突きつけた。
息子のことを何も分からないで家族も何も無いじゃないか!?
親のために生きていくという訳にはいかない、俺は俺自身の人生を歩んでいる、
そのことで親が壁となるのなら、俺は親を踏み台にもしていく覚悟だ!といったようなせめぎあいだった。
互いに厳しいことであったと思う。
それでも近くにいて家族でいることの方が良いに違いない、
いづれはこれでよかったという日が必ず来る。
そう自分自身を言い聞かせるようにこつこつ関係をつないできた。
この15年、親は俺への結婚相手の紹介を相当数受けてきたようだが、すべて親のところで抑えてくれていた。
どのように周りのお節介をごまかしてきたかと推測すると本当に大変だったろうと思う。
俺はそういう両親を今ではいとおしくてたまらなく思う。
これからもずっと続いていく・・・親へのカミングアウト、それは長い時間をかけていく親子の関係づくりだと思う。
しかしね、15年もたってまだ自信の無いことを言ったりするのを聞くと腹立たしくなっちゃうときもあってね、親子関係の甘えに乗じて文句言うこともある。「おい、もっと勉強してくれよ、何年たってんだ!」
今回の俺の文章から修羅場を恐れて億劫になる人もいるだろう。
でも20代、結婚や見合いをどうごまかすか、30も過ぎてくるとどのように結婚観を説明するのか、そしてどう生きていくと胸を晴れるのか?どこかでは面と向かわなくてはならないと思う。
まさか今時女性との偽装結婚もあるまい。
海外の映画では家族の関係をとても大切に思い、悩みを共有しようというシーンをよく見る。
でも日本の場合は「家」のシステムに見るように格好だけの家族をよしとしている風潮が感じられる。
この「家」のシステムを崩壊させる俺たちゲイの息子は、「家」にとってはとんでもない自分勝手な破壊者となってしまう。
でもそれはおかしいよね、21世紀、既に家のシステムも崩壊し始めている、個々の幸せを第一に考える時代だ。
また親の世代も核家族化を推進してきた張本人だ。
個人が幸せでないものが周りを幸せに出来るわけが無いと思う。
最後に、試行錯誤した俺の経験から。
親には十分に愛情を持ってカミングアウトできる方法を考えていってほしいと思うのです。
自分を隠して心を開かず親の死を待ち続ける、なんてことは不幸な親子関係だと思うのです。
そしてその作業は手を抜かず時間をかけて親子の対面をしていってほしいと思うのです。
子供の幸せを願わない親なんていないのだから・・・。
ゲイである自分自身を肯定出来るようになったほどの時間が、親にも必要なのだそうです。
力強く生きていく息子の姿を見せていく、それしかないかと思うのです。
親へのカミングアウト、これは一生かかる内容だ。
切っても切れない関係だけに、長い目で捉える必要がある。
しかし、いづれどうするのか決めないといけないときが必ず来る。
俺の親へのカミングアウトは21歳くらいか、就職してすぐだったと思う。
そのころ部屋にはバディなどゲイ雑誌は散乱させていて家族に信号は出し続けていた。
そういえば中学のときに薔薇族が親に見つかったことがあったが、当時問題にしてこなかった。
親は内心いつ本気になるのかと気が気でなかったようだ。
カミングアウトのきっかけは子供じみている。
当時付き合ってた初恋に近い奴との恋愛が不安定であったときに、母が俺の恋愛を否定してきたことに始まった。
抑圧的な教育指導の家庭に育った俺は親に対して怨念に満ちていたところもあった、そのタガが切れたように、なんと親子喧嘩から最終兵器のようにカミングアウトをした。
今でも大人げ無いな~と思うものであった。
そのことで、母親は狂乱し俺を責め立てたが俺もこんなきっかけであるとはいえ、どこかでやらねばならぬこと、と腹をくくって毎日話をしていくことになる。
ほとんど口を聞くことも無かった父親ともすぐ話し合いの場を持つことになった。
まあ就職もしたし、場合によっては勘当も受けて立とうと覚悟していた(相変わらず計算づく)。
しかし、父親は思わぬことを言い出す。
「お前が幸せに生きていくことが親の幸せだ、自分で抱え込まずにこれからは話してほしい。母さんには早急に展開させるな、徐々にだ・・・」などなど。
暴力的で体育会、まったく話にならない相手だと思っていた父親がすんなり理解を示してきた。
気が抜けると同時に父親の器量の大きさに本当に恐れ入って涙した。
母親は生理的に拒否をしていた感じだった、父親は頭で冷静に考えてくれた、すごいなと思った。
当時オウム騒動があったこともあり、俺の言っていることは母にとってはまるで宇宙人でオウムのようだと言われた。
でも、俺としては自分の尊厳にかけて話し込んで行く。
ゲイであることは自分自身の根幹だ。それを認めないのなら俺はあなたを認めることも出来ない!
そんな調子で俺が話せば話すほど母親は窮地に追い込まれるように耳をふさいだ。
でも、実の親に存在否定されたのではたまらないじゃないか!
何度も何度も切々と語りかけていった。
俺は近所に別世帯を構えて生活しはじめたが、あんまり酷い発言(俺の尊厳を完全否定したようなこと)が出たときはしばらく1,2ヶ月顔を出さず、母親に考える時間を与えた。
時が長いと親の方もさすがに折れて寄ってきた、子離れの儀式かと思うようにそれを繰り返しで数年間続いていった。
そんな繰り返しであれから15年経った。
今はやっと理解したというよりは諦めたといったところのようだ。
カミングアウトの前、俺が家族から去り、カミングアウトもせず田舎を捨ててめったに帰ってこないといった生活も考えてみた。
でもそれは違う!と結論していた。
そのことについては母親も悩んでいる間よく言われた
「黙っていてくれた方がマシだったのに。その方が親孝行だろう!」
「お前がすべて一人で抱えて墓場まで持っていけばいいのだ!・・・」
親のメンツのためにゲイを隠して生きていくことなど出来なかった。
俺は女性と結婚しないし、この家を継ぐ孫も用意できない。
このことはいずれ対峙しなければならないことだからと突きつけた。
息子のことを何も分からないで家族も何も無いじゃないか!?
親のために生きていくという訳にはいかない、俺は俺自身の人生を歩んでいる、
そのことで親が壁となるのなら、俺は親を踏み台にもしていく覚悟だ!といったようなせめぎあいだった。
互いに厳しいことであったと思う。
それでも近くにいて家族でいることの方が良いに違いない、
いづれはこれでよかったという日が必ず来る。
そう自分自身を言い聞かせるようにこつこつ関係をつないできた。
この15年、親は俺への結婚相手の紹介を相当数受けてきたようだが、すべて親のところで抑えてくれていた。
どのように周りのお節介をごまかしてきたかと推測すると本当に大変だったろうと思う。
俺はそういう両親を今ではいとおしくてたまらなく思う。
これからもずっと続いていく・・・親へのカミングアウト、それは長い時間をかけていく親子の関係づくりだと思う。
しかしね、15年もたってまだ自信の無いことを言ったりするのを聞くと腹立たしくなっちゃうときもあってね、親子関係の甘えに乗じて文句言うこともある。「おい、もっと勉強してくれよ、何年たってんだ!」
今回の俺の文章から修羅場を恐れて億劫になる人もいるだろう。
でも20代、結婚や見合いをどうごまかすか、30も過ぎてくるとどのように結婚観を説明するのか、そしてどう生きていくと胸を晴れるのか?どこかでは面と向かわなくてはならないと思う。
まさか今時女性との偽装結婚もあるまい。
海外の映画では家族の関係をとても大切に思い、悩みを共有しようというシーンをよく見る。
でも日本の場合は「家」のシステムに見るように格好だけの家族をよしとしている風潮が感じられる。
この「家」のシステムを崩壊させる俺たちゲイの息子は、「家」にとってはとんでもない自分勝手な破壊者となってしまう。
でもそれはおかしいよね、21世紀、既に家のシステムも崩壊し始めている、個々の幸せを第一に考える時代だ。
また親の世代も核家族化を推進してきた張本人だ。
個人が幸せでないものが周りを幸せに出来るわけが無いと思う。
最後に、試行錯誤した俺の経験から。
親には十分に愛情を持ってカミングアウトできる方法を考えていってほしいと思うのです。
自分を隠して心を開かず親の死を待ち続ける、なんてことは不幸な親子関係だと思うのです。
そしてその作業は手を抜かず時間をかけて親子の対面をしていってほしいと思うのです。
子供の幸せを願わない親なんていないのだから・・・。
ゲイである自分自身を肯定出来るようになったほどの時間が、親にも必要なのだそうです。
力強く生きていく息子の姿を見せていく、それしかないかと思うのです。