縁側でくつろぐ母と兄貴。
坪庭に面した縁側の正面には「 不浄門 」と門の左側には見越しの松が植えられている。
わが家がある通りで不浄門があるのはお寺の住職によれがわが家だけであるらしい。
この門が正式に開いたのは25年前の親父の出棺の時だ。
神道では死を穢れとみなすからお棺を運び出す時にだけ開く門のことを「 不浄門 」と呼ぶ。
実際には松の手入れの時、庭師が出入りするので一年の内、数回は開けざるをえないのだが・・・
お袋は病院で亡くなったのでわが家には帰って来ずこの門をくぐることはなかった。
遺体を不浄なものとみなす宗教観には僕は違和感をおぼえる。
ご訪問いただきありがとうございます。ブログランキングに参加中です。もしよろしければお帰りの際にパコンと投票ボタンをクリックしてご投票をお願いいたします。
坪庭に面した縁側の正面には「 不浄門 」と門の左側には見越しの松が植えられている。
わが家がある通りで不浄門があるのはお寺の住職によれがわが家だけであるらしい。
この門が正式に開いたのは25年前の親父の出棺の時だ。
神道では死を穢れとみなすからお棺を運び出す時にだけ開く門のことを「 不浄門 」と呼ぶ。
実際には松の手入れの時、庭師が出入りするので一年の内、数回は開けざるをえないのだが・・・
お袋は病院で亡くなったのでわが家には帰って来ずこの門をくぐることはなかった。
遺体を不浄なものとみなす宗教観には僕は違和感をおぼえる。
ご訪問いただきありがとうございます。ブログランキングに参加中です。もしよろしければお帰りの際にパコンと投票ボタンをクリックしてご投票をお願いいたします。