ぴろたまごの雑記帳

小さな庭の見える窓辺でつらつら書いてます
草花の写真もアップしていきます

地震の片付けというよりも

2016-05-14 12:25:14 | 日記

最初に地震があった夜、実家の両親はほんの4日前に入ったばかりの
高齢者マンションの1LDKで就寝中だった。

もし以前の家にいたら、タンスや荷物だらけの4階でゆさゆさ揺られ、
落下物で頭を打ったり、家具に挟まれ、身動きとれずにいただろう。
元の部屋は、2度の揺れで1回転したタンスや残った荷物でぐちゃぐちゃ!
転倒防止の金具をつけたタンスは、激しい揺れで扉がはずれかけていた。
 
こうなることを予測してたように、事前に必要なものだけ持ち出して、
安全な所へ早めに避難したみたいな結果になってホントに運がよかった。

残りのゴミや家財道具は、家族総動員で仕分けして片付けた。
長年の間に押入れや引き出しに押し込んだモノたちの多いこと!
パッチワークが趣味の母、手芸屋レベルで出てくるハギレの山。
「仕事辞めたら私も始めるから、少しもらうよ」と言った手前、
吟味しまくって段ボール2箱分だけいただくことにした。
タンスの肥やしにならないように、老後はしっかり使わなきゃ。

脳梗塞で右手がマヒして寝たきりの父は、なんとか自分で着替えもするし、
ベッドから車いすに乗って、食事もトイレも1人でこなすけど、
荷物の整理は人まかせにするしかなくて、生前整理みたいで心が痛んだ。

押入れの奥にあった父の大学ノートの日記帳の束。
80歳までの貴重な仕事や家族の記録だけど、読み返す暇もなかったね。
昔、私が出した手紙の中に、子供の写真や万札が入ったままだったり、
数多く出てきた新品の靴下やシャツは、ゴルフの景品や、
父の日のプレゼントでそのまましまわれていたものだろう。
親戚のおばさんが、難民への支援物資にすると手伝ってくれたので、
相当な物資が回ることになりそうだ。

元気なうちに、自分の荷物は自分で片付けておこうと強く思った。
モノはいいけど、思い出はそう簡単に処分できないもんね。
元気な母はまだまだ執着があって仲々捨てられず、皆呆れ顔だったけど。

やっと片付けも終わって、夜はゆっくり妹宅で地震の話を次々聞かされ、
それでも皆、なんとか自宅で寝られることに感謝しきりだった。

去年の夏にも行ったイタリアンのお店が開いていたので寄ってみると、
店は無事でも、自宅の賃貸マンションが全員退去で避難所暮らしだって。
避難所も、元気な人や炊き出しをする若い人がいる所はいいけど、
今いる中学校の避難所は高齢者が多くて炊き出しもなく、
ご飯の上に缶詰のサバを乗せたみたいなものばかりなんだって。

ボランティアに来る卒業生たちの中には、遊び半分で、
寝ている自分達のすぐ横でバスケをする子もいるとか。
そのうち避難所も出て行かなきゃいけないけど、住宅も抽選待ちの状態。
勤務先が閉鎖されて働き場を失った人たちもたくさんいるし、
姪っ子のダンナさんは落下物で車がダメになったそうだ。

今回の地震を予想していたという‘未来人‘の次の予告。
「5月17日には南海トラフが来るかもしれないから姉ちゃん気をつけて」
としっかり脅かされてしまった。
ちょっと待って!寝室はタンス部屋だし頭の上にはモノだらけ、
地震保険も入ってないし、超やばいんですけど。

帰る前に熊本城を一目見ようと行ってみたら、お城の中には入れず、
それでもたくさんの人が様子を見に来ていた。
無残に崩れた石垣、はげはげの屋根や板壁が痛々しいけど、
故郷のシンボルには変わらない。がんばれ熊本!
 
 
コメント
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