7月末、東京は4058人という過去最高の数字に驚いたというのに、
今日は4166人で過去最多を更新。
中等症までは自宅療養でという政府の方針が出た。
言いたいことは山ほどあるけど、とうとうそんな所まで来たということだ。
娘宅から帰った翌24日(土)東京で一人暮らしの息子がコロナ陽性とわかった。
その時点では、7度5分。インフルみたいな症状で、のど痛と関節痛。
発熱外来に予約して歩いて5分の病院で抗体検査し、帰宅して結果を聞いた。
味やニオイはわかるので、8月2日まで自宅療養をして下さいと言われたそうだ。
その日の感染者数、1128人分の1になってしまった。
あの東京で電車通勤だから、もしかしたらと思っていたけど、
その週、途中の駅からすごい人数の人が乗ってきて、すし詰めだったとか。
後で聞いたら、同じ連休中に会社でも何人か陽性が出たそうなので、
会社で移されたのかもしれないし、どこで移ったか移したかもわからない。
現実になるとショックで仕事が手につかない。
その夜、早速ネットで、水やのど飴、食料品を月曜には届くように手配した。
手元には2リットルの水が3本、サトーのご飯はあるというけど、大丈夫かな?
25日(日)昼過ぎにようやくLINEの返信が来た。
朝までずっと39度前後でしんどくて、食欲全然ないから食料なくても大丈夫だと。
保健所からは朝、体調を聞く電話があり、「息苦しい」と言ったそうだ。
午後、血中酸素の測定器が届き、計ったら基準値以下だったのですぐに連絡。
夕方、とんぷくを飲んだら7度台に下がって楽になり、
「果物ゴロゴロのゼリー、桃の缶詰やあんことか甘くてつるっとしたのがいい」と言う。
買いに走ってその日のうちに発送したのだけど。
翌26日「息苦しいけん入院手配してもらうことにした。荷物受け取れないかも」
運よくベッドが空いて、2時半に迎えのタクシーで地域の医療センターに入院することになった。
まさに感染爆発の1週間前。
「タイミングよかったね~」と最初は喜んでいたけど、やはりコロナは怖い。
その日からレムデシビルを投与したところ、副作用がひどくて発疹が出て、
100人に2~3人いる不適応者ということがわかり、投与を中止。
ステロイドを使うパルス療法に切り替えたけど、1週間が限度らしい。
中止して一時調子が良かったのに、だんだん雲行きが怪しくなってきた。
「しんどい時はLINEの返信しなくてもいい?」と言うので「いいよ」と返すと、
金・土・日と何も言ってこない。悪い予感がどんどん膨らんできた。
週明け8月1日、病院の方へ思い切って病状を問い合わせてみた。
「息子が1週間前からコロナで入院しているのですが」
生年月日を聞かれ、西暦で答えてしまい、昭和何年かと聞かれても頭真っ白!
ようやく自分の生まれ年に24足して答えた。
担当医からは夕方連絡が入った。
再びレムデシビルとバリシチニブの治療も始めて今のところ発疹はないけど、
重症化したらICUのある病院へ転院することになりますと言われた。
8月4日、品川区の大学病院へ転院させると連絡が来た。
午後、今度は大学病院の呼吸器チームから電話。
CTを撮ったら肺が真っ白で、うつぶせ療法もおなか側の肺も白いので無理かも。
今週中には人工呼吸器が始まる可能性もあり、それでも駄目ならエクモになると。
もう、電話し終わるとクタクタになった。
息子の会社の上司に電話して息子からメール連絡することは無理かと思うので、
週に1度病院から連絡があったらこちらから報告しますと伝えた。
発症した頃からずっと私も頭痛がしていて、今も続いているのです。
これって、息子と通じてるんじゃないかと思い始めて、LINEが来れば軽くなり、
息子がくれた紫陽花が、2度も花がついてずっと咲き続けているのも不思議で。
この花の生命力を、分けてあげたい。