時すでに遅し。・・やっぱり行くのが1週間遅かった。
無常にも紅葉は散った後で、道端に茶色い落ち葉が積もっていた。
平地では今が見頃でも、高野山の紅葉は11月中旬まで
こんなことなら紅葉おすすめスポットの写真なんか見るんじゃなかったよ(;_;)
どこかに残ってないかと未練たらしく歩き回った1日だった🍁
朝6時に大阪南港に到着し、そこから車で2時間半。
8時半に中の橋駐車場に着き(まだ余裕で駐車できた)舗道を歩いて戻り、
「一の橋」から「奥の院」まで続く参道を歩いていった。
杉の巨木が立ち並ぶ広大な墓地、歴代の武将のお墓や大名家、戦没者たちの
苔むした墓石や墓標。ここだけ時の流れが止まっているようだ。
と、前にいた初老の男性がよろけて信長の墓標に手をついてしまい、
思わず、その場にいた皆が口を揃えて「あ~あ!」と言った。
元に戻そうかと思ったけど、根元が朽ちているので折れてもいけないし、
当の本人「すみません~」とえらく恐縮していた。信長公よ、お許しを。
写真上は、御廟橋(ごびょうのばし)
奥に弘法大師の拝殿となる灯籠堂がある。
御廟橋の前にたどり着いた頃には人の数も増えて、
とうとう奥の院までやって来たなと感慨ひとしお・・
そこから先は写真撮影も禁止されている神聖な場所だ。空気が違う。
灯籠堂で満願成就のお礼詣りをし、
納経所で納経帳の1番前に御朱印を頂いてついに逆打ちの旅は完結した。
記念に、着ていた白衣の背にも御朱印を押してもらった。
お遍路さんの格好をしていると、納経も丁寧にしてもらえた気がする。
中の橋近くの食堂で早めのお昼を食べて、次に向かったのは金剛峯寺。
ここは古い昔ながらの重厚な茅葺の屋根が歴史を感じる。
ちょうど厄年なので、本堂で護摩木に「家内安全 無病息災」と厄払い。
中を拝観し、豊臣秀次が自刃した部屋があってちょっとビックリした。
世継ぎなのに秀吉に実子ができたために邪魔にされて高野山へ追いやられ、
最後は28才で命を落とし、家族も皆殺しにされた悲劇の人。
こんな山奥に追いやられた時の気持ちはいかほどだったことか。
そんな歴史の繋がりを思うと、一気に高野山の存在が近くになった。
裏手には、見事な石庭もあり、四国の花崗岩と京都の白川砂が使われているそうだ。
↓
紅葉狩りがダメならと高野山の御朱印集めをすることにした。
下の写真は、不動坂口に唯一現存する女人堂。
高野山が女人禁制だった頃、遥か外れのお堂から女性たちが拝んでいたそうだ。
なんとも風情がある佇まい、紅葉していれば最高だったのにな~😭
「紅葉も終わったのに今日は人が多いですな」と納経所の話好きな男性。
「私みたいに見逃してガッカリしてる人が多いんですよ」と答えた。
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