copyright (c)ち ふ
絵じゃないかおじさんぐるーぷ
<ドン作雑文集より>
白い着物を着た女が立てっているではないか。私の目は、まばたきを忘れてしまっていた。白い顔に、長い黒い髪。しかも、裸足のようである。女は、私の視線に気づいたのか、ゆっくりゆっくりとこちらに近づいてくる。
私は、棒に括りつけられたようになった。女の一足、一足ごとに、背筋に震えがきた。足があるから、幽霊ではないのだろう。今どき、裸足で薄い白い着物を着て、この山道を何のためにと思うのだが、それは今なら言えることであって、心は恐怖のどん底をさ迷っていた。
バリ、バリーン!
サヤカのエンジンをふかして、走り逃げたいところなのだが、Uターンなど出来そうにもない。
あっ、あゆか! なぜ、こんなところで、そんな格好を!
私は、女の顔が妻のあゆかに見えたのだ。それも、30前の若いころの顔立ちだった。私は、精一杯のほほ笑みを浮かべて、彼女が近づいてくるのを待った。きっとあゆかの精が、困りきっている私を救けに来てくれたのだろうと思いこんだのだ。私は、何事も楽天的に考えるタイプのようである。苦境に立てば立つほど安易に考えてしまう部類の人間なのだろう。
しかし、私の顔の皮膚は、もはや私の力ではコントロール出来ないほど、自然の中に取りこまれてしまっていた。きっと角ばった顔をしていたに違いない。
少しつり上がり気味な目尻、真っ赤に血走った白い目。子育てに苦労して、睡眠不足だった頃のあゆかにそっくり。
髪のほつれは、一生懸命、母親をこなそうとしているあゆかのトレード・マークだった。
ニッ!
女が笑ってくれた。
耳のあたりまで裂けた口は、新婚の頃、私が悪戯して、あゆかが昼寝している隙に口紅で書いてやったあの口だった。
人間は、相手の黒い眼だけ凝視していると、悪人や非美人といえども、可愛らしく見えてくるものである。逆に、どんな顔美人といえども、口や鼻だけ見ていると、ただの一人として、美人として見えるものはいないと、私は思っている。
私は、私の法則を適用して、その女の黒い眼だけを、眼だけを凝視した。
やっぱり、あゆかだった。
「あゆか、救けに来てくれて、ありがとう」
数分見続けていて、私は、感謝の気持ちを顔一杯に表わして、頭を下げて礼を言った。頭を上げてみると、もはや女の姿はなかった。
ふと足元に目をやると、道の端の乾いた雑草が、一山倒れかかってきていた。
おわり