copyright (c)ち ふ
絵じゃないかおじさんぐるーぷ
<ドン作雑文集より>
2m近くはあると思われる大男が、道路の前方に突然現われたのだ。彼は、両手を上げて、私を制止した。私は、急ブレーキを掛けた。少しスリップして、転倒しそうだった。心臓がどきどきと波打つ。
ヘッドライトに浮かびあがった男の顔を見なおしてみて、落ち着きかけた心臓が、またもやガクッガクッとなり、背筋には氷水が雪崩落ちた。ヒゲもじゃらの顔に、ほおづきのような目がランランと光っており、全身は黒い毛におおわれていた。が、赤いパンツの1ポイント・マークを目にした時、少しだけ安心感を覚えた。
「おい、オッさん、ちょっと付き合えや」
私の愛称を知っていると思ったので、安心が倍加した。私は、オッさんと呼ばれるとホッとするタイプであることも手伝っているのだろう。
「何か、用でも」
「そうだ。用事があるから、呼び止めたのだ。サヤカ殿から降りて、ついてこいや」
わっ、サヤカの名前まで知っている。こいつは、いったい何物なのだ。
サヤカとは、私の愛バイクの名前である。不可思議な能力を持つバイクのサヤカには、いろいろな友がいる。こいつもサヤカの友達なのだろうか。いや、友達であれば、サヤカが教えてくれているはずである。サヤカは、私を驚かせるような質の悪い悪戯はしない主義の人だ。
「あの、もう遅いので、早く家に帰りたいのですが・・・」
「ふらふら、ふらつきおって、あと1~2時間ぐらい、どうってことあるまい。つきあいの悪い奴よのう」
私は、彼にエリすじを捕まれて、引きずり降ろされてしまった。扱いは乱暴だったが、丁重な感じも受けた。私は、仕方がないので、サヤカを脇道に寄せ、とぼとぼと彼についていった。霧がかかった露道は、長く感じられたが、そう長い時間歩いたわけではない。しばらく行くと、ほこらがあり、黒鬼はその中に私を招いた。
「濁酒を飲む時は酔い泣きするに限る。でもな、オッさんよ。一人でボヤいてもつまらんのよ。まあ、一杯いけや」
「私は、運転がありますので」
「一杯ぐらいいいだろ。これ、そう強くはないぞ」
「私は、それに下戸でもありまして」
「ナンダ、猿か」
あんたに、猿呼ばわりされる筋合いはない。飲めないものは飲めないんだ。それに、どちらが猿なんだ。酒飲んで、顔赤らめて、泣いていれば、猿顔そっくりではないか!
それにしても、奴は万葉集のファンかいなあ。
「じゃ、ひと口でも飲め」
それほどまでに勧められたので、一口だけ含んでみた。カライッ。何がうまいんだ、こんなものと思ったが、
「ふん、いいお味ですねえ」
もう、恐くはなかったが、お世辞を言った。お世辞も人づきあいの潤滑油となるのなら言わねばなるまい。こんなもの、いくらでも吐き出してやる。それが会社員の生活の知恵と言うものだ。ふと、奴のすすり泣く声が聞こえ始めた。
「オッさんよう、まあ聞いてくれ。何が悲しいと言っても、誤解されるほど苦しいものはない。ワシはな、黒鬼のブラック・ゼンゴという大江山に住むモンじゃが、人間社会からは、つまはじきばかりされとるんじゃ。こう見えても、ワシは、根っからの悪人ではないぞ。悪いのは、白鬼の奴なんじゃ」
私は、彼に少しばかり興味を抱いた。
「白鬼って?」
「よくぞ、聞いてくれた。白鬼というのはな、あんたら普通の人間の心の中に住みついている鬼なんじゃ。これが、また悪い奴でな。己の存在をぜんぜん普通の人間には感じさせないのよ。そのためにな、奴のためにな、オレはいつも大悪人に仕立てあげられるのよ。
もともとは、黒鬼と白鬼とは、対の原理で作られたものにすぎないんだ。正義とか不正義とかは、永遠のものではない。時代が選択するようになっとる。それをワシばかり悪人扱いしやがって」
「えっ、それ本当ですか? では、私にも?」
「どれどれ。うーん。見当らないなあ。おそらく、サヤカ殿の魔力が効いているのだろう。何しろ白鬼の見当らない者など皆無じゃからのう」
そうか。バイクに乗れば、さわやかな気分になれるのは、サヤカが力を貸してくれていたのかと一人納得した。それと、彼に呼び止められた理由も何となく分かったような気がした。
「その白鬼に気づいた人間は、この日の本の国には、ショートク太子と芥川の龍先生しかおらんのよ。というてもな、ワシ、交際範囲が狭いので、人の名などあまり知らんのじゃが・・・」
「なぜ、その二人が・・・」
「お前、世間は虚仮という言葉しっとるか?」
「いえ。でも、このごろは、どんな山道の道路も良くなっていますよ」
私は、道が悪くて、つまづいてこけるのかと思ったのだ。
「ちっ、何にも分かっちゃねえ。あのなあ、これ太子はんの言ったことなの。世の中をはかなんでな、言ったらしいよ。世の中と言っても、馬の黒駒や斑鳩の因可(よか)の池の片目蛙がどうかしたということではない。
世の中の実体は人間、人の集まりだろ。その人々に白鬼が取りついているのよ。虚仮と感じさせるのは、白鬼の仕業なのよ。龍先生もなエゴイズムを抑えて生きろと訴えていただろ。エゴというのも、ヤツのなせるワザなのよ」
「そうなの? 初めて聞いた」
つづく