株式会社プランシードのブログ

株式会社プランシードの社長と社員によるブログです。
会社のこと、仕事のこと、プライベートのこと、あれこれ書いています。

その164.2014年夏の「愛」の考察

2014-07-23 07:26:34 | 制作会社社長の憂い漫遊記
私の経験で言うならスケベー度が高い男ほど
「今度生まれ変わったら女に生まれ変わりたい」と言う。
キレイな女性に生まれ変わる保証はないのだが、
一度、男を手玉に取りたいという願望の現れか?
いくらイケメンでも、1度や2度、
いやイケメンほど手玉に取られて「なんでこんな女と?」と、
はた目からも気の毒な事態になっている。
その恨みが強い男ほど「来世では女に生まれ変わりたい」と思う。

確かに女性の地位向上を狙いとした様々施策が効を奏し、
現象のひとつとして女性の一人酒と喫煙は確実に増え、
それにより不幸になる男性が確実に増えている!
間違いなく増えている!!
法律を作ると被害者より加害者の人権が
優先されるのと同じ輪廻になっている。
結局、容姿が良いに越したことはないが、
多少ブ男でもたくましい男が謳歌するから、
多少可愛くてもひ弱な男はますますオタクにならざるを得ない。
そんなオタクな彼を溺愛するのは女性である母親であり、
たとえ引きこもってもせっせと食事を配給するので
彼が日干しになることはない。
向こうが引きこもるならこちら側から鍵を掛け
兵糧攻めにすればよいのだが、
豊臣秀吉得意の水攻め・兵糧攻めを敢行する母親は、まずいない。
では女性の引きこもりはあるのだろうか?
あまり聞いたことはない。
かって「積み木くずし」というドラマがあったが
彼女はひきこもるのではなく、家に中でも外でもバンバン暴れるのだ。
以降ひきこもりの男子のドラマはあっても、女子のドラマはない。
女性が引きこもっても父親が配給するということはまずないし、
結局、母親が食料担当なので、引きこもりは息子になる。
そう考えると父親の役割もさることながら、
父親と母親の関係が子供たちに影響するということになる。
旦那にかまってもらえない母親の過剰な愛が
息子をひきこもりへと走らせる。
一方、旦那はなぜ妻をかまわなくなったのかも
問わねばならないだろう。
ひきこもりの原因を生んだ妻も旦那も両成敗だ。


 愛の山口百恵映画なら西河克己監督作品です。

我が家にも強烈な女子がいるが、
血がつながっているものの彼女たちのロジックには
しばしばタジタジである。
血がつながっているから何とかかわせるが、
それとて何とかかわすだけで、万一四つに組むと
「腕ひしぎ逆十字」をはじめとする間接技や、
「チョークスリーパー」などの絞め技に苦しめられることになる。
血がつながらない赤の他人なら、
マットの上で血の雨を降らせることになる。
父親の私ですら凹んでしまうのだから、
彼女を好きになる男どもは大変だ。
娘に変わって娘たちの雑言ひらにご容赦ください。

さて結論だが、本当に愛を貫くなら、
まだ大好きな間に「心中」するのが最良策である。
相思相愛なのだから「心中」が一番お薦め。
しかし、今が幸せだからこの後もずっと幸せだろうと楽観視して
一緒にこれから先も生きていくなら、「寛容」をお薦めする。
いくら好きになっても所詮は赤の他人。生まれも育ちも違う。
我慢にも限度がある。思い通りに赤の他人を
コントロールするなんて200%不可能である。
愛の究極は、相手の幸せを己の幸せと感じられる「無償の愛」だ。
母の子に対する愛はしばしば「無償の愛」と称されるが、
その無償の愛がひきこもりを生んでいる。
そこには厳しさがなければならない。
したがって凡人には無償の愛はない。
ならば会話するしかない。
後ろ姿を見ても相手の考えていることなど絶対にわからない。
大好きな間にせいぜい会話をして、
生まれや育ちの違い・距離を1センチでも縮めておくことだ。
しかし縮めたとて1センチだから先は長い。
相思相愛になってからが勝負なのだ。
男と女しかいない世の中だが、男と女の距離は限りなく無限である。
男と女の会話は情報交換ではない。
互いの立場や役割を確認し合うことこそが大切であり、
それを英訳すると「コミュニケーション」となる。
「あ~面倒くせ」と思うなら、ひきこもるか、
彼女が出来たら相思相愛の間に心中するしかない。
でもこの面倒くせぇ行為にも、続けるとスルメのように味が出てくる。
愛とは、味わい深いものなのだ。
一緒に生きてれば棺桶に片足を突っ込んだ時に
「けっこう楽しかったかも…」と思えるかもとしれないし、
「この人と出会えてよかった」と思えるかもとしれない。
です。です。です。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿