フィリピンりぱぶりっく狂笑国

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バクララン Baclaran

2006-07-24 | フィリピン
パサイ市の地区で必見なのはこのパクララン。場所は、タフト通リとハリソン通りF.B.HarrisonAve.の交差点の西側、ロハス大通リに面して建つパクララン教会BaclaranChurch周辺がポイント。ただし、行くなら水曜日に限る。なぜなら毎週この日は水曜市Wednesd Marketが開かれるからだ。

パクララン教会に近接する通りには、おぴただしい数の各種露店が出て、群がる人出も日本のJRのラッシュ並み。圧巻である。扱い商品はシャツやドレス、ジーンズ、婦人用下着など衣料品が主流。一方、レデンプトリスト通りに並ぶのはマンゴー、パパイヤ、パナナなどのくだものとローソク、イエスの肖像画、サントニーニョ像、おもちゃなど雑貨類を扱う露店だ。水曜日は日中からごったがえすが、パクララン教会でのミサにやってくる信徒たちが混じる夕方の人出が頂点。爽快な熱気だ。バクラランの水曜市は、マニラ市民のみならず、首都圏近郊、ラグーナ始めとする近郊都市からも熱心なカトリック患者が、パスで2時間余りもかけてやってくる。
このバクラーラン、ロハス通り沿いに出店していた大露店は、一連のMMDAの美化計画で全て取り払われてしまった。しかし、この地に根強く居座る商店主、教会取り付け道路始め至る場所へ店を構えて大商い中。

興味本位で行かないようにしてください。何事が起きても保証はいたしません。教会があるから聖域。そんなことは一切ないと思ってください。


海坊主ご一行が置き土産をしたオネーチャンもこのバクラーランにて衣料品販売に従事している。

このバクラーランには現代残酷史といっても良い事が今でも行われています。

この近辺の露天商の多くは、華僑、モスリム系の方々が多い。この熱帯特有の営業は、想像を絶する以上に暑い。
土方ではないのだが、天候にも左右される商売、雨が降れば全く人が途絶え、商品も濡れてしまうので休業してしまう。

この露天で働く売り子を良くご覧ください。15歳くらいから24、5歳くらいのオネーチャンを多く見かけると思います。
黄色い声を張り上げ、客へ購入を即している姿を多く見かける。
よく話す言葉を聞いていると、タガログ語よりはビサヤ訛りのタガログ語が多い。多くのオネーチャンは、サマール、レイテ、セブ等の田舎からこの首都圏へ出稼ぎにあるいは借金のかたには働かされている。

店先へ立つまでには、経営者の非常な仕打ちに耐えることから始まる。計算が出来ない、売り商品の整理整頓が悪いといって、平手打ち、激怒等は日常茶飯事。涙し、食うものも食わずに、帰宅、目を赤く晴らし泣き暮れることもしばしば。
この露天で働く殆どの売り子、店番のオネーチャンたち、小学校をどうにか卒業した者が殆ど。貧困地で育ったオネーチャン達、卒業したとは言うのだが、中には満足に小学校も卒業していない者も多いとか。

この地で露店を営む、親戚縁者を頼りに、親元を離れるのが12歳から13歳。小学校卒業後まもなく、20数時間掛けて首都圏へ出てくる。交通費始め、親元へ残す金は全て借金、当初は、商品整理や、経営者の自宅の番人を経験、15歳くらいから露店の店頭にて売り子を始める。この時点でも、出てくるときに負った借金返済充当のために給料は1ペソもないほど。
17歳くらいになると、月額7、800ペソ程度。19歳くらいの一応ベテランでも1500ペソ程度。
ベテランになると、生活は自炊生活が始まる。同郷者5人くらいで3畳間一間の生活が始まる。
露店から住宅まではジプニーで1区間程度の、パサイ市及びその近郊のスラムに住宅を構え、勤務する。
多くのオネーチャン達には、このフィリピン共和国の最低賃金法は適用されない。それを良いことに、非常に安い賃金で働かせられている。

置き土産をされたスイカオネーチャンは、妹、従兄弟、田舎の実家の隣のオネーチャン、最近、この首都圏に来たニューフェイス等5名で生活している。叔母が露天の代表者。共同住宅地の1階に叔母、2階に5人のオネーチャン。
この叔母、このオネーチャン達から1ヶ月1200ペソ/人の住宅代を徴収する。残った、300ペソで、1ヶ月の食費、通勤費に充当する。
1名200ペソ、5名で1000ペソで1ヶ月飲み食いする。おかずは鶏肉か豚肉、毎日米を1kg買い自炊、それを5名で食べるのだそうだ。どう考えても収支が合わない。食べ盛りの子供が5名で月額1000ペソの食費???
節約に節約を繰り返しても、金が不足。その不足はおばからの借金で補填。チェーン操業をこの若さで経験することになる。実家から金の無心があれば、叔母から借金。悪循環が続く生活を余儀なくされている。

早朝5時出勤、露店周りに商品展示を始める。風通しが悪く地上温度とあわせ、30秒くらい居れば汗だくの地で食うものも食わず営業。喉の渇きは近所の水道水で補い、空腹はビスケットもしくは売り子同士で小額の小銭を出し合い、1個1ペソ程度のパンが多いのだそうだ。

このスイカオネーチャン達は、年中無休勤務。唯一雨が降れば、閉店休業。楽しみは、深夜ベイウオークを徘徊することくらい。

早朝5時出勤、自宅へ帰宅するのは午前0時近く。食事の用意洗濯、寝る時間は毎日殆ど3時間くらい。午後の暇な時間ついウトウトと居眠り。店主に見つかれば爆声をあびらされ挙句の果てに平手打ち。働けば働くほど借金額が増えてくる。

実家の親達はこのような残酷な仕打ちを受けていること等知るすべも無い。首都圏へ出稼ぎにでればなんとでもなるような程度の考え。無心が始まる。露天主は幾ら近親者といえども、金を貸さなくなる。

このバクラーランには何でも売っているといえるほど。すなわち、このスイカオネーチャン達のように体を売って、生計の不足分を補うもの。若年で私生児を儲け、体を売るオネーチャンが後を絶たない。まして遊び盛りの年頃のオネーチャン。月額300ペソで通勤費を含め生活等は不可能に等しい。

スイカオネーチャンは、妹と2名でサマールからマニラの叔母を頼り出稼ぎに来た。何時もニコニコわらっているものの、胸に秘めたことをなかなか口走らなかった。今回アホ日本人が置いていった置き土産を機に聞いた話。
13歳の妹と一緒にこのマニラへ出てきたのが15歳。殆どは露店主の小間使いと商品整理。働けど働けど田舎え遅れる金がない。田舎の両親からは送金の催促。結果として選んだ道がその叔母の友人に進められて売春を始めた。時間的な制約があり回数こそ少なかったが、アホオヤジに買われたのが運のつき、置き土産をおいていかれてしまった。妹と一緒に僅かながら小銭をため、出産の準備をしている。

日本の「おしん」は米三俵で売られた。このスイカオネーチャンはフィリピンの米四俵程度の5000ペソの借金の抵当で、このマニラへ。嘘のような話に聞こえるのは平和ボケの日本人。今日も首都圏へ向かう長距離バスには、バナナの葉に包んだご飯と少々のおかずを添えた弁当を片手に「フィリピン版おしん」がふるさとを後に首都圏へと。

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4 コメント

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これが実情 (last samurai)
2006-07-24 22:14:26
そうですね これが実情でして 知ってるだけに

ムネが熱くなる 日本人が置き土産 このPH人の

人権は?結構この話は多いんだよね 日本人に

騙されたって話 でもLAあたりで 売り線の

babaeたちは バイタリテイ溢れて 生きるために

屯してる 矛盾が過ぎって行きますよ まー 知ってる人は知ってるかもパンパンガのangeles city

Balibagoと言うところに行けば PHの縮図が見えますよ 2500人(公表)何を基準で言ってるかは 解らないが アメリカさんの置き土産が有りますよ

其処のbabaeもビサヤ ミンダナオ系が多いですね

此処に住んでると 全てが異常かも知れませんが

私は慣れました これがPHなんだと strangerでPHに

来る方は 知る必要も無いけど babaeを追いかける

前に PHの裏側も少しご覧下さい 最低限babaeには

置き土産はなさらない様に 又日本人に騙された!

と 聞くのが嫌ですね でも彼女らは今日も元気に

商売に励んでいます そういう姿はいじらしさも感じられます
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(;_;)うぅ・・・。 (SurigaoCity)
2006-07-24 22:21:36
なんか悲しいです。

第三国ではよくある話だと、頭では理解していましたが、実際にこうして話を聞くとツライですね・・・。

たとえ食べるのに苦労はあっても、心に安らぎがあらんコトを願わずにはいられませんです。
返信する
この国は深層部は (Cavite)
2006-07-25 00:28:45
今回のレポートを拝読して変な感想を持ってしまいました。



一つは、スイカちゃん達に較べると日本のPパブに行っていたオネーチャンは恵まれてたんだなぁと言う点。食住付きの職場でチップ、プレゼントもがっぽり。別に体を売らなきゃ食えない訳じゃない。上手くすれば「金持ち」日本人の嫁さんになれるかもしれない。ジャパユキさんは一種のエリートだったんだな。スイカちゃん達がいくら頑張ってバクラランの売り子と売春を繰り返しても日本人の嫁さんには成れないだろうからな。



オネーチャン達が未だに「日本へ行きたい!」と目の色変える理由がよく分かりました。



二つ目は、スイカちゃん達の両親。娘を借金のかたに売り飛ばしておいて挙句に「金送れ」とは。似たような話しは良く聞きますが。例えば、田舎からマニラへメイドになって働きに出た娘が久しぶりに帰郷すると、実の母親がその娘のパンツまで脱がせて金を隠し持ってないかと調べるとか。



貧困はそこまで精神を荒廃させるのか、本当に貧困だけの所為なのか。



比島、比人の暗黒の心理的深層部をちらっと覘いたような気がします。今回のコメントには(笑)だとか(爆)だとか、どこにも入れる余地がありませんでした。
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幸せな日本人 (PP)
2006-07-25 14:10:26
>last samurai様 SurigaoCity様 Cavite様

これが現実。日本へ出向いた姫殿。もこのバクラーランで働く方も、結果は大か小。出始めは同じなのかもしれません。日本でのホステスがフューマントラフィッキング。このバクラーランは残酷物語。同情するなら金くれのセリフがあったように、ひょっとしたらここはそうなのかも?

皆様コメント有難うございました。
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