「仮名手本忠臣蔵」で、塩冶判官が切腹する
場面で、家老の大星由良之助が、なかなか姿を
見せなときの塩冶判官セのリフです。
史実では、赤穂浪士事件とも言われますが、
主君の名は浅野内匠頭で家老の名は大石蔵之介
ですが、芝居の方では、主君の名が塩冶判官で
家老は大星由良之助と、名前を替えています。
江戸時代当時は、本当の名前を使うわけには
いかなかったようです。
冒頭のセリフは、塩冶判官が切腹に際して、
言い残すことがあるのに、由良之助がなかなか
到着しないという、やきもきした主君の感情を
表現する、芝居での見せ場です。
史実は「赤穂浪士の討ち入り」で、歌舞伎や
人形浄瑠璃では「仮名手本忠臣蔵」なのですが
時折、ごっちゃになってしまうこともありそう
ですよね。^^; 今は浄瑠璃も歌舞伎もめったに
見る機会がないですからねえ。年末になると、
TVのドラマで放映することが多いですが、それ
は赤穂浪士の討ち入りか、忠臣蔵か、の区別が
つかないものがあったりします。^^; それでも
昨今は、TVの放映が減っているようです。さて
今年はどうでしょうかねぇ。
高校の頃、遅刻した生徒に、教師がその生徒
に対してこう発言しました。で、授業に入る前
に、教師がこの違いについて、10分ほど割いて
説明してくれました。確か社会科の授業だった
と記憶しています。
もうひとつ、なぜ「仮名手本」かというと、
打ち入ったのが47人、すなわちいろは文字の数
が47だから、こういう言い方をしたのそうな。
子どもが字を習うときに、手本を真似して書く
のを「仮名手本」と言ったそうです。
なお、江戸時代は、子どもらが習う「手習い
そろばん」と言い、”読む”よりも”書く”ことを
最初に習ったそうな。文字を書けるから読める
というわけでしょう。
それはともかくとして、当時から、日本人は
語呂合わせとか数あわせが好きだったようです
ね。
場面で、家老の大星由良之助が、なかなか姿を
見せなときの塩冶判官セのリフです。
史実では、赤穂浪士事件とも言われますが、
主君の名は浅野内匠頭で家老の名は大石蔵之介
ですが、芝居の方では、主君の名が塩冶判官で
家老は大星由良之助と、名前を替えています。
江戸時代当時は、本当の名前を使うわけには
いかなかったようです。
冒頭のセリフは、塩冶判官が切腹に際して、
言い残すことがあるのに、由良之助がなかなか
到着しないという、やきもきした主君の感情を
表現する、芝居での見せ場です。
史実は「赤穂浪士の討ち入り」で、歌舞伎や
人形浄瑠璃では「仮名手本忠臣蔵」なのですが
時折、ごっちゃになってしまうこともありそう
ですよね。^^; 今は浄瑠璃も歌舞伎もめったに
見る機会がないですからねえ。年末になると、
TVのドラマで放映することが多いですが、それ
は赤穂浪士の討ち入りか、忠臣蔵か、の区別が
つかないものがあったりします。^^; それでも
昨今は、TVの放映が減っているようです。さて
今年はどうでしょうかねぇ。
高校の頃、遅刻した生徒に、教師がその生徒
に対してこう発言しました。で、授業に入る前
に、教師がこの違いについて、10分ほど割いて
説明してくれました。確か社会科の授業だった
と記憶しています。
もうひとつ、なぜ「仮名手本」かというと、
打ち入ったのが47人、すなわちいろは文字の数
が47だから、こういう言い方をしたのそうな。
子どもが字を習うときに、手本を真似して書く
のを「仮名手本」と言ったそうです。
なお、江戸時代は、子どもらが習う「手習い
そろばん」と言い、”読む”よりも”書く”ことを
最初に習ったそうな。文字を書けるから読める
というわけでしょう。
それはともかくとして、当時から、日本人は
語呂合わせとか数あわせが好きだったようです
ね。
prairie@mbh.nifty.com