大泉の仲間たち

大泉高校15期生の交流/親睦のためのブログです。

「遅かりし由良之助」

2024-11-07 09:30:00 | 日記
 「仮名手本忠臣蔵」で、塩冶判官が切腹する
場面で、家老の大星由良之助が、なかなか姿を
見せなときの塩冶判官セのリフです。
 史実では、赤穂浪士事件とも言われますが、
主君の名は浅野内匠頭で家老の名は大石蔵之介
ですが、芝居の方では、主君の名が塩冶判官で
家老は大星由良之助と、名前を替えています。
 江戸時代当時は、本当の名前を使うわけには
いかなかったようです。

 冒頭のセリフは、塩冶判官が切腹に際して、
言い残すことがあるのに、由良之助がなかなか
到着しないという、やきもきした主君の感情を
表現する、芝居での見せ場です。

 史実は「赤穂浪士の討ち入り」で、歌舞伎や
人形浄瑠璃では「仮名手本忠臣蔵」なのですが
時折、ごっちゃになってしまうこともありそう
ですよね。^^; 今は浄瑠璃も歌舞伎もめったに
見る機会がないですからねえ。年末になると、
TVのドラマで放映することが多いですが、それ
は赤穂浪士の討ち入りか、忠臣蔵か、の区別が
つかないものがあったりします。^^; それでも
昨今は、TVの放映が減っているようです。さて
今年はどうでしょうかねぇ。

 高校の頃、遅刻した生徒に、教師がその生徒
に対してこう発言しました。で、授業に入る前
に、教師がこの違いについて、10分ほど割いて
説明してくれました。確か社会科の授業だった
と記憶しています。

 もうひとつ、なぜ「仮名手本」かというと、
打ち入ったのが47人、すなわちいろは文字の数
が47だから、こういう言い方をしたのそうな。
子どもが字を習うときに、手本を真似して書く
のを「仮名手本」と言ったそうです。
 なお、江戸時代は、子どもらが習う「手習い
そろばん」と言い、”読む”よりも”書く”ことを
最初に習ったそうな。文字を書けるから読める
というわけでしょう。

 それはともかくとして、当時から、日本人は
語呂合わせとか数あわせが好きだったようです
ね。

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