試練
2012-07-08 | 日記
言葉の森の小学5年生の課題に、星野富弘さんの文章があります。星野富弘さんは、大学卒業後、体育教師として高崎市の中学校に赴任するのですが、その2ヶ月後、体操部の指導中に宙返りの模範演技に失敗し、頸髄損傷の重傷を負ってしまいます。人一倍健康で体力もあり、中学時代は陸上部の選手として活躍した星野さんにとって、肩から下が麻痺して全く動かない状態に陥ったときのつらさは、私たちの想像を絶するものだったと思います。
課題になっている文章には、星野さんの子供のころのエピソードが紹介され...ています。川で溺れそうになった星野さんは、必死になって、元いた岸へと戻ろうとします。でも、流れは急で、元の場所に戻ることはできません。そのとき、星野さんは、流れに逆らおうとするから苦しくなり、流れが恐ろしいものに思えるのだと気づきます。
「……そうだ、何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか」
そして、体の向きを変え、下流に向かって泳ぎ始めます。しばらくして、川底を探ってみると、もう十分に足の届くところだったというわけです。
ただただ流れに身を委ねる方法もあるのだという気づきをもたらしたこの経験は、後に闘病生活を続けることになった星野さんの人生を大きく変えます。全く動けないまま、過ぎた日のことを思い、将来のことを悩んでいたとき、星野さんは、この子供のころの出来事を思い出したのです。そして、動けない体と向き合って、歯をくいしばりながら戦うのではなく、現実をありのままに受け入れ、その現実から何かを学びながら自分のできることをすればいいのだという気持ちになったのです。
「試練」という言葉には、苦しいこと、つらいことというイメージがあるので、できれば避けて通りたいと思う人が多いと思います。でも、試練は、誰にでもやってきます。ただ、その試練をどのように受け止めるかによって、試練の持つ意味が違ってきます。試練にあったとき、その試練を避けようとしたり、なぜ、こんな目にあわなければいけないのだろうとこだわりを持ち続けていたりすると、ますます試練がつらいものに感じられ、必要以上のダメージを受けてしまうものです。
「何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか……流されている私に、今できるいちばんよいことをすればいいんだ」
試練にあったとき、そんな気持ちになれたら、苦しさで頑なになっていた心が次第に緩み始め、大きな気持ちで「試練」というものをとらえられるのではないでしょうか。人生の質が変化するのは、そんなときです。少しずつ考え方に余裕が出てきて、いつの間にか試練を乗り越え、その先の人生をも前向きにとらえることができるようになるのです。
大きな試練にあったとき、すぐに気持ちを切り替えることはむずかしいかもしれません。でも、星野さんのように、一瞬の気づきで人生を転換させることもできるのです。試練とは、ただつらく苦しいだけのものではなく、人に明るい気づきを与えるきっかけとなるものだと思います。
星野さんの文章の最後には、聖書の言葉が引用されています。
「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実なかたですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」
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課題になっている文章には、星野さんの子供のころのエピソードが紹介され...ています。川で溺れそうになった星野さんは、必死になって、元いた岸へと戻ろうとします。でも、流れは急で、元の場所に戻ることはできません。そのとき、星野さんは、流れに逆らおうとするから苦しくなり、流れが恐ろしいものに思えるのだと気づきます。
「……そうだ、何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか」
そして、体の向きを変え、下流に向かって泳ぎ始めます。しばらくして、川底を探ってみると、もう十分に足の届くところだったというわけです。
ただただ流れに身を委ねる方法もあるのだという気づきをもたらしたこの経験は、後に闘病生活を続けることになった星野さんの人生を大きく変えます。全く動けないまま、過ぎた日のことを思い、将来のことを悩んでいたとき、星野さんは、この子供のころの出来事を思い出したのです。そして、動けない体と向き合って、歯をくいしばりながら戦うのではなく、現実をありのままに受け入れ、その現実から何かを学びながら自分のできることをすればいいのだという気持ちになったのです。
「試練」という言葉には、苦しいこと、つらいことというイメージがあるので、できれば避けて通りたいと思う人が多いと思います。でも、試練は、誰にでもやってきます。ただ、その試練をどのように受け止めるかによって、試練の持つ意味が違ってきます。試練にあったとき、その試練を避けようとしたり、なぜ、こんな目にあわなければいけないのだろうとこだわりを持ち続けていたりすると、ますます試練がつらいものに感じられ、必要以上のダメージを受けてしまうものです。
「何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか……流されている私に、今できるいちばんよいことをすればいいんだ」
試練にあったとき、そんな気持ちになれたら、苦しさで頑なになっていた心が次第に緩み始め、大きな気持ちで「試練」というものをとらえられるのではないでしょうか。人生の質が変化するのは、そんなときです。少しずつ考え方に余裕が出てきて、いつの間にか試練を乗り越え、その先の人生をも前向きにとらえることができるようになるのです。
大きな試練にあったとき、すぐに気持ちを切り替えることはむずかしいかもしれません。でも、星野さんのように、一瞬の気づきで人生を転換させることもできるのです。試練とは、ただつらく苦しいだけのものではなく、人に明るい気づきを与えるきっかけとなるものだと思います。
星野さんの文章の最後には、聖書の言葉が引用されています。
「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実なかたですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」
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