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賢明でしたたかな外交努力、平和的国際貢献

2021-11-06 15:50:47 | 日記

空気を読む日本人

(中略)

いったん戦争が始まってしまった以上、負けたら悲惨なことになるのは当然で、

そうなると、(日本人は、)あとは勝ってもらうしかないじゃないか、と思いはじめるんです。

どんなに(日本人が欧米に)憧れていても、

日本は間違っているから、祖国(日本)を捨てて欧米に亡命しよう、なんて思わない。(日本人は)

異国の人の中で不自由をしのぐより、周(まわ)りの日本人といっしょになんとか仲良くやっていきたい、そう思うんです。(日本人は)

 

日本の大勢が戦争を進めていく側に回ったら、

自分もそれに同調して、もうこうなったら勝ってもらうしかないじゃないか、というようになるわけです。

こんな戦争やったって無駄だし、ダメだし、やるべきではないと言っていた人でも、

あるいは(やっても戦争に)「負ける」と思っている人でも、いったん国が戦争に踏み切ってしまったら、

それまでの主張は無になるんです。

無になって「もう勝ってもらうしかない」になってしまうんです。

私(高畑勲)にとっては、これが一番怖いことなんです。

この(怖い)ことはこれからも起こるだろうということは、

たとえば「空気を読む」という言葉がありますね。いま若い人が(「空気を読む」という言葉を)よく使いますが、

それが私には驚きというか、がっかりというか。

(日本人の同調体質に。善(よ)かろうが悪かろうが周りに同調する性格にがっかり。)

昔(の日本人、第二次世界大戦に突入したときの日本人)と何にも変わっていないじゃないか、と思いました。

新しい言葉でもなんでもない。

この「空気を読め‼️」といことは、

「場違いなことをするな、言うな‼️」といことです。

だからたとえば、みんなが戦争に流されているときに、

「これはおかしいんじゃないか」と(日本人はきっと)言わない、ということなんですよ。

 

憲法を守るということ

「和をもって貴(とうと)しとなす」というのは素晴らしいし、うまく機能する場合はうまく機能します。

だけど、ものすごく危険なんです。

大勢がこうなっているんだから言わないほうがいいと。

(👩言わない理由は、自分の反対意見を言えば自分1人がのけ者になり、生きていくことのすみずみに支障が出るから❔)

(日本の)政権でも、

「今はそういう流れだ」--

日本人は「流れ」っていうのが大好きですから。

❌空気がそうなっているからそれに与(くみ)しよう(言うことを聞こう)と思っている。

(日本人は)「空気を変えよう」とは絶対に思わない。

(中略)

この会場にいるほとんどの方も、私(高畑勲)も、いったん戦争が始まってしまったならば、

「始めた以上は勝たなくては話にならんだろう」と言って、

おそらく政府の戦争に

(👨「政府の戦争」に❔

👩政府がやりたい戦争に❔

政府が「やりましょう」と誘いかける戦争に❔)

 

おそらく政府の戦争に協力するようになるんです。

そういう(日本)人が圧倒的多数となるのではないかという、この恐ろしさ……。

戦争や政治の方向性が間違っていようが何だろうが、

そんなことは関係なくなるんです。

 

日本人「撃(う)って一丸」ということが大好きですね。日の丸を立てて何かをやるのが大好き。

たとえばオリンピックなんて大好きで、アナウンスなどもまったく客観性を欠いていますね。

みんなが一斉(いっせい)にガンガン、日本を応援し始めるんです。

(👨それのどこが悪い❓️と怒る日本人がいるだろう。)

一番印象的だったのは、ペキンオリンピックで野球の決勝戦のとき、もう負けが明らかな情勢なんです。

だけどそれでも

「ここで絶対負けるわけにはいきません‼️」

とアナウンサーが絶叫しました。これ、アナウンスではないでしょう、

単なる心意気の表明です。

そして「負けるわけにはいきません」と言ったとたんに負けが決まりました。

こういうことを繰り返しています。

(👩日本人は。)

 

冷静でない ことが必要とされるとき

戦争中もまったく同じでした。

「撃ちてし止まん(うちてしやまん)」

「本土決戦」

「進め一億火の玉だ」

「神風(かみかぜ)が吹く」

「最後の一兵まで戦い抜く」

「一億玉砕」……。

みんな死んでしまっても、

国民がいなくなっても、

大日本帝国は残るのでしょうか❔

(中略)

怖いのは、自らそこに飛び込んでいくというその心情、

そういったものを日本人は、私たちは持っているんです。

たとえ愚劣な戦略、愚劣な戦術によって戦争が遂行(すいこう)されていたとしても、そこは見ない。

何がなんでも勝たねばならない。負けるわけにはいかない。

こうした精神がこれからも、またあらためて戦争の時代が来たときに、

もっとも恐ろしい効果を発揮することになると思うんです。

それは、私ら民主主義の第1期生でしたが、第65期生くらいのいまの人たちについても全然変わっていないのではないでしょうか❔

私が与謝野晶子さんや永瀬さんや茨木さんやまどさんの詩を引用して言いたかったのは、そこに挙(あ)げられた晶子や光太郎やまどさんを批判するためではなくて、

私たちもおそらく彼らと同じではないか、という恐れを皆さんと共有したいからなのです。

一旦(いったん)戦争などの事態に突入したら、「自分が自分にたよ」ることができず、

つい大勢に従い、(大勢の意見に)「寄りかか」って流されてしまうのではないか❔という恐怖。

それを深く自覚・自戒したいからなのです。

 

日本の民主主義のありさま

民主主義教育を受けたはずなのに、私たち日本人は西洋流の個人主義的な、

周りが反対であろうと、

一人ひとりが自立して考え、

ちゃんと意見を述べたうえで、議論を深めていく、

ということは全然できていません。

戦後これだけの時間が経っても、

民主主義が身についていない。

(👩なんだ、知らなかった‼️民主主義が身についていないのは中ごくの国民の皆さんだと思っていた。魯迅がそう言ったから。まさかの自分たち日本人も民主主義が身についていなかったとは‼️)

 

(高畑:日本は)アメリカより悪いと思います。

戦争ばっかりやっているアメリカは最低の本当にひどい国だと私は思いますけれど、しかし、にもかかわらず、

🌈あの国は立ち直る可能性があるかもしれない。

なぜなら、(アメリカには)反対勢力というものがつねに存在していますから。

だけど日本の場合、反対勢力というものを一掃しようとするんですね。これは江戸時代の村八分がそうです。日本の民主主義は一種の村の寄合(よりあい)に過ぎません。

寄合というのは全員一致主義です。ですが、理を尽くした説得をするわけでも、本当の議論を尽くすわけでもありません。

最終的に「空気を読」ませて全員一致に持ち込むんです。

どうしてもダメな場合は、村八分です。反対派を追い出して、いないことにするわけです。(反対が)いなければ全員一致になる。

こういう日本人の体質がいま、多数決による議会でもあらわになっています。理を尽くした説得も本当の議論もないまま、見かけの審議だけで、

「反対派」は「いないことに」にして議決してしまう。

私たちは、本当の民主主義、本当の議論というものを身につけるように頑張らなくてはいけないと思いますし、

難民問題への対応など、

国際社会の一員として、

自分たち以外の人々、

仲間内とはいえない人々、

異質な宗教や習慣で生きている人々と

うまく付き合っていくためにも、

私たち(日本人)の体質改善が絶対必要の急務です。

(👨中ごく共さん党と習●平氏も体質改善。)

しかしそれは体質の問題だからこそ、簡単ではない。

(中略)

 

「ずるずる体質」の問題

いまの政府は、安全保障環境が根本的に変わったからとうことで、

解釈改憲を行い、

憲法9条とその精神を投げ捨てて、

普通の国になり戦争のできる国になって、

切れ目なく防衛ができるようにしたいらしい。

まわりが変わったからと言って脅し、

これだけ限定をつけてるんだからと安心させ、

しかも柔軟に臨機応変に対処するんだから心配ないと言っています。そんなことは為政者はだれでも言うんですよ。

けれどもそれは日本の場合、大抵成功していない。

それを「ずるずる体質」と僕は言っているんですけれど、

反対勢力がないし、

決断をもって次に移る、

あるいは局面を正しいほうに変える、

ということができない。

それをどれだけ見てきたか。

いわゆる大東亜戦争を始めるときもそうだった。

そのあと負け始めてからもそうだった。

 

追い詰められて追い詰められて、

それでまだ、

まったく読み違えてソ連に仲介を頼んだり、

バカなことをして、

とにかくずるずる、ずるずる、

岡山を含め日本の都市という都市が焼土(しょうど)と化し、

どうしていいか分からないうちに結局、

原爆投下、

ソ連参戦

という最悪の事態になってあの戦争は終わるんです。驚くべき惨禍(さんか)を国民にもたらして。

この「ずるずる体質」というのはずっと続いていまして、

最近の例で言うとバブル経済がそう(ずるずる)みたいですね。日銀のなかにいた人は、このままではダメだということは分かっていたらしいいんです。しかし、どうにもならなかった。ずるずると破綻(はたん)するまで変えられなかった。

それから、福島第一原発事故のあとの処理の仕方にもそれ(ずるずる体質)を感じるんです。

 

責任を取らない体質

政府が日本を戦争できる国にしたとして、

そのずるずる体質があったら、

抜き差しならないところへ行ってしまう気がするんです。

この「ずるずる体質」と表裏一体なのが

「責任を取らない体質」です。

(👨日本、ずいぶん厳しく言われているなあ。)

「責任を取らない」のは最近の福島の原発事故の場合でもそうですね。

アジア太平洋戦争の終わり、

ポツダム宣言を受諾(じゅだく)して、

日本は連合軍側に裁(さば)かれます。戦犯として。

極東国際軍事裁判(東京裁判)は戦勝国が一方的に裁いたもので承服できないという人がいますし、そういう側面があることは認めます。

だけど、では、その人はいまもあの戦争に負けた日本が正しかったと思っているんでしょうか❔

 

あれは、道を誤(あやま)ったとしか言えないはずですよね。

だって。完敗したのですから。

(中略)

(日本を)崩壊させてしまった責任というものは

当時の為政者にあるわけです。

その責任を、為政者は自ら取ったでしょうか❔

(👨松下幸之助さんもきっとそう聞くだろう。)

そして日本国民は国民として、

一度でも追及したことがあるでしょうか。

全くしてないですよね。

他者が裁いた東京裁判だけです。(追及したのは)

 

そして、戦争責任者の一人、岸信介、

今の安倍さんの母方の祖父ですね。

その岸さんが出獄し、

公職追放が解除され、

あっという間に首相になったんですから。

それでも(日本人は)誰も文句を言わない。

 

大体、日本人はそうやって責任を取らないんです。

戦争中もそうだった(責任を取らなかった)みたいですね。

大本営であろうが、

参謀本部であろうが、

失敗した偉い人は、

和をもって貴となすとばかりに

偉い人同士でかばい合って

責任を取らせなかった。

下の人に責任を取らせたりしました。

 

歴史を見てもそんなこと(責任を取らないこと)になっているから、

日本が「戦争のできる国」になったとして、

(日本が)戦略・戦術で失敗しても

責任を取らないとなると、

悪いほうへずるずると行ってしまう危険性が大変高いと私は思うんです。

 

たとえいまのひとが、昔の人のよう(に無知)ではないからそんなことにならないと偉そうな顔でおっしゃったとしても、(戦争にならないという)何の保障もありませんよね。

それにその(偉い)人もある時点で引退するんですから、

次々と出てくる首相なり政府なりが、

戦前の為政者とはくらべものにならないほど聡明で機敏に臨機応変にですね、いろいろ対処してくれるんでしょうか❔

能力のない人も出てくるに決まっているし、そうした場合にどうなるかというと、

日本がずーっとやってきた「ずるずる体質」や「責任を取らない体質」が続いていく危険性がある。

そうしたらもう歯止めがかかりません。(とめることができません。)

 

だから日本には絶対的な歯止めが必要なんです。

絶対的な歯止めとは何か❔

もちろん、

憲法9条(憲法九条)しかありません。

 

「平和を繕(つくろ)う」ために

(中略)

▼「君が平和を欲するならば、備えよ戦争に」

あるいは

▼「準備せよ、戦争を」という警句は

古代ローマ時代にできて、ずっと伝わってきた言葉のようです。

この思想に基づいて、西洋近代では列強(国)が軍備を増強していくわけです。

 

日本のいまの首相がやろうとしているのは、

▼憲法9条の精神に代えて、

▼この古臭い警句を相変わらず、

▼国民に信じこませようとすることです。

(日本のいまの首相は、)「積極的平和主義」と言っていますね。

▼「平和のためにこそ、戦争に備えましょう、準備しましょう」と。

ところが、いまから60年以上前、

第二次世界大戦以後の世界がこの警句どおり、

再び戦争に向かって動き出していたとき、

一種の言葉遊び、ダジャレで

警句(のブロパガンダ)を見事にひっくり返した人がいたのです。

🎥『天井桟敷(さじき)の人々』という映画の脚本や、

🎵『枯葉』というシャンソンを書いた、20世紀フランス最大の民衆詩人、ジャック・プレヴェールです。

❇️「君が戦争を欲しないならば、修繕せよ、平和を」

「君が戦争を欲しないならば、繕(つくろ)え、平和を」。

(中略)

プレヴェールがこう呼びかけたのは、

南仏(南フランス)での大きな反戦集会に集まった若者たちにでした。

当時フランスは、ヴェトナムなどの独立を阻止しようと、インドシナで戦争をしていました。

東西の冷戦は激化し、

米ソ(アメリカとソビエト連邦)の核兵器開発競争が進み、

西ドイツの再軍備が日程にのぼっていました。

 

プレヴェールは言います。

❇️「踊れ、すべての国の若者よ。踊れ、踊れ、

平和と共に。

平和はとても美しく、とても脆(もろ)い(崩(くず)れやすい。

やつらは彼女(平和・女性名詞)を背中から撃(う)つ。(👧卑怯(ひきょう)だなあ‼️)

だが、平和の腰はしゃんとする。

きみら(若者)が、彼女(平和)を腕に抱いてやれば」。

 

(👨ママ、ママ自身が平和だったんだね、

だから僕は、平和をしっかりと離さないように僕の腕に抱きしめ、

君を、平和を守り続ける‼️

👩パパ💕💕)

 

(プレヴェールは、)そして詩の最後をこう締めくくります。

「もしもきみらが戦争を欲しないならば、

繕(つくろ)え‼️平和を‼️」

 

どうやって平和をつくろうことができるでしょうか❔

平和を保つこと、

戦争をしないことのためには、

1にも2にも

国際親善の発展と、

外交努力が必須です。

アメリカに追従してばかりでは、

外交能力は向上しません。

日本は、

事前の外交をやる能力をもっともっとつけなくてはなりません。

(👨台湾がいま、中ごくが吹っ掛ける『台湾戦争』を阻止するために、一生懸命に外交政策をやっていて偉いと思う。

👩ブリンケン国務長官も、おうき外相を相手に、何十、何百年も考え方が遅れた国、中ごくを相手に、一生懸命、「『ウイグル・ジェノサイド』を即刻やめてください‼️」と本人を目の前にして言っ(通告し)て凄いと思う

👧国際連合が、戦争をやりたい国に、Al兵器の使用と、これからのAl兵器の開発をやめてもらおうという取り組みも素晴らしいと思う。)

 

 

(高畑勲監督が日本人に)

言っておきたいこと

 

憲法9条を基盤にした、

賢明でしたたかな外交努力、

平和的国際貢献こそが最大の抑止力であり、

世界のすべての国との相互理解を前進させるのが

日本の唯一の道です。 

🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈

70年間、戦争で1人も殺されず、

いまもなお戦後と言えることがどんなに幸せなことか‼️(日本における最後の戦争は、第二次世界大戦)

この平和をさらに強固なものとするために、

私たちは改めて日本国は、

憲法によって戦争をしない国、

戦争することの出来ない国

であることを誇り高く(日本と世界各国)内外に

🌕️宣言すべきです。

 

抽象的であいまいな言葉で

どんなまやかしの限定をつけようとも、

いったん戦争のできる国になれば、

💀どういう運命をたどることになるのか⁉️

私たちは(これまでの戦争の)歴史に学ばなければなりません。

戦争をできるのにしないのは非常に難しく、できると、ついしてしまうことになる危険性が極めて高いのです。

 

アジア太平洋戦争の開戦や敗戦のいきさつから、

延々たる対米従属、

そして、悲惨な原発災害に至るまで、

責任を決して明らかにせず、

追及せず、

ずるずると押し流されていく、

私たち(日本人の)ずるずる体質と

空気をすぐ読む驚くべき同調体質とは

残念ながらいまも70年余前も

ちっとも変わっていないのでは

ないでしょうか。

 

私は自分も含めこの体質が

本当に怖いのです。

 

だから憲法第9条は

(私たちのずるずる体質への)

最後の歯止めとして

絶対に変えてはならないと思います。

 

9条は、戦後日本国の所信(信じる所)であり、

理想であり、

それに縛(しば)られることこそが、

近隣諸国との友好の基礎であり、

国際的に日本の地位を

安定させるちからだからです。

 

こうした集まりでは、

もっと抽象的な意味での平和の尊(とうと)さとかを

述べるべきであったかもしれません。

しかし、私は今年(2015年)の10月で80歳になります。

そうしまとやっぱり、

たとえば野中広務さんなど、自民党の長老たちも心配しているように、

本当に日本が(憲法9条を改正して)このまま(戦争に)行っていいのだろうかと考えるんです。

だから、平和の重さを考えようとするときに、

具体的な政治について

なんにも言わずに済ますわけにはいかないのです。

 

そう考えて、まことに僭越(せんえつ)ながら、

私は私の意見として

今日の話を述べさせていただきました。

どうもありがとうございました。

 

岩波ブックレットNo.942

📖『君が戦争を欲しないならば』

高畑勲 著 (岩波書店)

より抜粋。