戦争末期に日本は追い詰められ、
戦中から戦後にかけて
すでにも挙げましたような
まことに悲惨な事態になりました。
そういった(戦争の)悲惨な体験というものは、
もちろんしっかりと語り継ぎ、
記録し、伝承していくべきものです。
『火垂るの墓』という映画も、
戦争がもたらした惨禍と悲劇を
描いています。
しかし、
そういった体験を
いくら語ってみても
将来の戦争を防ぐためには
大して役に立たないだろう、
というのが私の考えです。
その理由は、
端的に言いますと、
戦争を始めたがる人も、
こういう悲惨な状態に
なってもよいと
絶対に言いません。
いやむしろ、必ず、
「あんな悲惨なことに
ならないためにこそ、
戦争をしなければならないのだ」
と言います。
そういう点から考えると、
どんな悲惨な経験があったかを
話したとしても、
いや、話さなくても、
いまでも世界のあちこちで
悲惨な戦争が続いていますから、
それをテレビやなんかで見れば、
戦争がどんなに悲惨な状況を
生み出すか、
はっきりとわかるはずです。
しかし、にもかかわらず、
戦争は起きる、
国は戦争を始めるんです。
アメリカなどは
何回も何回も戦争をしますよね。
そのたびに、
戦場になった国の人々はもちろん、
(アメリカの)自分たちの国民も
悲惨な目にあわせているのに、
しかも、どれひとつ成功していないのに、
それでも(戦争を)やるんです(アメリカは)。
本当に戦争を防止するものとは
日本は、自分が始めた戦争の末期(まつご)に
追い詰められてひどい目にあったわけですが、
それはアメリカのせいでひどい目にあったのです。
(たとえば)岡山の空襲も完全に、
一般人に対する無差別攻撃です。
しかし、そういったひどいことを対米戦争の結果
アメリカから受けたのだという恨(うら)みとしては、
日本人はあまり意識しなかったんですね。
天災のように受けとめてしまう。
広島の慰霊碑でさえ、
「あやまちは繰り返しませぬから」と、
主語がひどくあいまいです。
そしてそういう心理は、逆に、
自分たちが他国に攻め込んだ結果もたらした災厄や、
現地の人々の苦しみ、
恨みに対する鈍感さを
生むのではないか❔
どうも私たちは、
加害者としての日本を
しっかりと意識することが
なかなかできません。
(中略)
もう一度言いますが、
戦場末期の負け戦の果てに、
自分たちが受けた悲惨な体験を語っても、
これから突入していくかもしれない戦争を
防止することにはならないだろう、
と私は思います。
🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️
やはり、
もっと学ばなければならないのは、
そうなる(戦争末期の負け戦の果てになる)前のこと、
どうして戦争を始めてしまったのか、
であり、
いったいどう振る舞ったのか、
ではないでしょうか。
正しい情報を国民に伝えない政府
ここでお話しておきますと、
日本の国がいかにひどいかということです。
これは当時のことですが、
じつはいまでも同じです。
東日本大震災の福島第一原発事故のときも、
政府から正確な情報を知らされなかったことによって、
福島県飯舘村(いいたてむら)などの人々の
避難が遅れたりしたのは
ご存知の通りです。
国民に知らせるべきことを
知らせない。
戦争中、たとえばこういう
焼夷弾空襲(しょういだんくうしゅう)に対して
どう対処すればよいか、
もう十分わかっていたのに
それを教えなかった。
だから、爆弾を避けるつもりで
防空壕に入って亡くなった人が
たくさんいるのです。
私たちが教わった、
爆弾が降ってきたら目と鼻を押さえて伏せろというのは、
爆発や爆風による被害を避けるためであって、
そういうことは
焼夷弾には何の役にも立ちません。
焼夷弾は町を焼き尽くすために
開発されたものです。
断面が六角形の鉄の筒で、
長さが50センチくらいでしょうか。
中に油脂が詰まっていて、
B29という爆撃機から投下されると、
親爆弾が開いてその鉄の筒、
要するに焼夷弾がバラけながら
大量に落ちてきます。
そして着地したとたんに発火、
油脂に火が着いて噴出し、
あたりに飛び散るんです。
(焼夷弾の)筒は縦に落ちてくるので、
屋根や地面に突き刺さったりすることもありますが、
基本は飛び跳(は)ねて転がり、
あとは油脂が燃えるだけ。
ですから、空からの直撃を避けるために
まず物陰に隠れるべきです。
そして焼夷弾が落ち切ったら、
あとはとにかく燃え上がる火を避けながら
とにかく逃げたほうがいいんです。
ところが、焼夷弾攻撃に対して出されていた
唯一の命令は、
逃げずに消化しろ、なのですから、
消化活動をした人々がたくさん亡くなりました。
(👨知らなかった。
👩ひどいわね。)
(中略)
つまり、焼夷弾攻撃というのは、
とても消し切れないほどの火種を空からのばらまいて、
木と紙でできた日本の都市を焼き尽くそうということですから、
対抗のしようがなかった。
だから、逃げるのは当然だったのに、
国は逃げさせたくなかったのです。
(👨えっ👀⁉️なぜ❔)
まあ、できる限り家屋や資材を守るには、
空襲に雄々しく立ち向かわせ、
消化活動をぎりぎりまで頑張らせるしかない
と考えたんでしょうね。
それで、どの家も、
焼夷弾による火災に備えて、
火たたきとか防火用水、
コンクリートで作られた四角い水槽に水を張ったもの、
ゆ戸口の前に置き、
砂袋なども用意していました。
どれも火を消すためのものです。
しかし、大量に落ちてくる焼夷弾を
どうやって消せばいいのでしょう。
当時、燃える油を消すには水ではダメだと
信じられていましたから、
おそらく、この焼夷弾を火たたきで
たたいて消せとか、
砂をかけて消せと
いうことだったのだと思います。
みなさんご存知でしょうか、
以前はどこの家でも石油ストーブを使っていました。
その石油ストーブが倒れて引火したときには
どうするかというと、
消防庁は、
ストーブに毛布を掛けて消せ、
水は危険だ、
と言っていたのです。
でも、
『暮らしの手帖』という雑誌が、
バケツ1杯の水を
バァーッとかけてみたら消えた、
だからそうするべきだ、
ということを実験で確かめて(雑誌に)載せました。
要するに、
急激に冷やせば火は消えるんです。
じつはそれを私は
空襲で目の当たりにしたのですが、
お役所というのはそんなことも確かめず、
公式に認めないまま
戦後を迎えるんですね。
📖『君が戦争を欲しないならば』
高畑勲 監督
(👧ジブリの監督さん、
👨高畑勲監督の言葉、
「戦争がもたらした惨か(さんか)と悲劇、
そういった体験をいくら語ってみても、
これから突入していくかもしれない将来の戦争を防ぐためには大して役に立たないだろう、
というのが、私の考えです。
本当に戦争を防止するものとは、
やはり、もっと学ばなければならないのは、
そうなる前のこと、
どうして戦争を始めてしまったのか、
であり、
どうしたら(戦争を)始めないで済むのか、
そしていったん始まってしまったあと、
為政者は、国民は、
いったいどう振る舞ったのか、
なのではないでしょうか。」
という意見を読んで、
関連書籍から
加藤陽子さん(東京大学文学部教授)の著書
📖『それでも、
日本人は
「戦争」を選んだ』」
(新潮文庫 か77-1)
を見つけました。
なぜ戦争を選んでしまうのか知りたい。
今回は、高畑勲監督の
焼夷弾攻撃のお話にとどまりました。)