そもそも、
繁栄、平和、幸福でありたいと願う心は、
この地上に人間が生まれて以来、
昔も今も変わらず、
だれもが胸に抱き、
だれもがその実現を
望んでいたことと思うのであります。
すなわち、
それがたとえ原始未開の時代の人間であろうと、
繁栄したい、平和でありたい、
幸福になりたいと願う願いは
だれもがその心に
もっていたことと思うのであります。
そこで、
この願いを実現する第一歩として
私たち人類の祖先は、
まず第一に家族という共同生活をつくりあげました。
つまり、
一人一人で生活するよりも、
男と女が、それぞれに
仕事を分担して暮らすほうが
生活が便利であります。
男は主として外に狩猟に出て食糧を集め、
女は内にあって子どもの保育や、
炊事をする。
このほうが一人で暮らすよりも
よほど便利なのであります。
そのうちに子どもが一人増え、二人増えして、
その家族はしだいに大きくなり、
父の協力者や母の協力者ができてまいりまして、
家族という共同生活は、しだいに充実してきたと思うのであります。
ところが、このように家族生活が大きくなり、
あちらこちらに同じような家族、団体ができてまいりますと、
今度は、ある地域の数家族を集めて、
そこに一つのさらに大きな集団生活を
つくりあげました。
これがいわゆる村落というものであります。
なぜこのようにしたかといいますと、
一家族だけでは、
外敵や野獣の襲撃を防ぐのに、
どうしても力が弱いし、
また
狩猟や農耕を行うのに
不便であったからであります。
このようにして、
家族を一単位とする一つの集団生活
すなわち村落をつくり、
お互いに協力して
繁栄の生活を
つくり出そうと
考えたのであります。
しかし
家族を一単位とする
その集団生活においては、
共通の利益を保護し
全体を統制するために、
どうしてもそこに
🌕️秩序というものが必要となり、
その秩序を保持する統括者としての
🌕️首長というものが必要となってきたのであります。
すなわちここに、
人類の生活において
🌕️家族以外における
集団生活の秩序と、
その秩序の統括者
というものが
生まれてきた
と思うのであります。
だいたい以上のようにして、
🌕️人類の集団生活というものが
生まれてきたわけでありますが、
時とともに
この集団生活は
しだいに大きくなってまいりました。
つまり、
🌕️人知が進歩するに従って、
お互いの繁栄と平和と幸福を、
よりいっそう充実させるために、
その集団生活をさらに
大きくする。
すなわち、
村落から
郷や町へと
発展していったのであります。
さてこれとともに、
🌕️さらに新しい秩序が必要となり、
🌕️さらに新しい統括者が
必要となってくるわけで、
🌕️人間の共同生活はしだいに複雑になり、
しだいに整ってまいったのであります。
このようにしてだんだん大きくなりだんだん整ってきて、
ついに一民族なり数民族を
🌕️一つの集団としてできあがったものが、
今日私たちが見る国家であると
思うのであります。
さて、このような国家の
歴史的発展の跡を考えてみますと、
🌕️国家という集団生活は、
結局、
🌕️人間の繁栄、平和、幸福のために
生まれてきたものであり、
🌕️国家の目的は、
国民の繁栄、
平和、
幸福を
実現するところにあるといえるのであります。
すなわち国家は、
🌕️国民の繁栄のための手段であって、
この国民の繁栄を達成せしめるところに
🌕️国家の使命があるといえるのであります。
しかも、以上の国家の成立の歴史は、
人間に限りない繁栄、平和、幸福が
与えられているという大原則にも
そのままあてはまると思うのであります。
これを言いかえますと、
人間の本質には
限りない繁栄、平和、幸福が
与えられているのでありますが、
国家成立の歴史は、
この人間の本質を
しだいに発揮してきた歴史でもある
といえるわけです。
したがって、
歴史にもとづいて考えてみても
国家はあくまでも人間の繁栄のための手段であって、
その民族なり国民の、
繁栄、平和、幸福を
達成せしめるところに、
その使命がある
ということになるのであります。
都市から国家、
国家から世界へ
ところで、
さきにも申しあげましたように、
集団生活が成立した以上は、
全体に共通の利益というものを
考えなければなりませんし、
またこれを保護する必要が起こってまいります。
そういうところから、
🌕️集団には秩序が必要となり、
🌕️国家には国家秩序というものが
必要となってくるのであります。
ところが、
秩序には
これを維持する中心というものが
なければなりません。
国家についていえば、
国家秩序を保持する主導体
とでもいうべきものが
必要となってくるのであります。
🌕️そこで、
それぞれの国の
それぞれの特殊な歴史の発展過程にもとづいて、
自然に君主制なり
民主制なりの
政治の制度が生まれ、
君主や大統領が
🌕️その国の秩序の中心と
なってきたと思うのであります。
いうまでもなく、
君主制にしても
民主制にしても、
その国の歴史(と🌕️民度)に応じて
制度の違いはありますが、
いずれにしても、結局は、
その民族なり国民の
繁栄を生むための制度として
その(国家秩序の)意義があるわけで、
したがって
その(国家秩序の)制度にもとづいて、
その国の秩序の中心となった
君主や大統領は、
前述の国家の目的に従って、
国民一人一人の願いであるところの
繁栄、平和、幸福を実現するために、
国家秩序を忠実に保持し、
この秩序を正しく統括しなければならない
のであります。
❇️ここに国家秩序の中心である者の
任務(使命)があり、
❇️またその尊(とうと)さ(大切さ)がある
と思うのであります。
さて、以上のようにして
国家というものができあがり、
また国家の目的と
国家秩序の中心とが
生まれてきたのでありますが、
🌕️ここで目を転じて、
全世界といいますか
世界全体に目を向けたとき、
❇️国家は要するに
❇️世界の一部であり、
❇️一単位であるということに
❇️気づくのであります。
すなわち、
❇️家族が国家の一単位を
かたちづくるように、
❇️国家は世界の一単位を
かたちづくることに
なってくるのであります。
❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
いうまでもなく、
今では、
❇️国家がいちばん大きな集団生活であって、
❇️それが世界集団の一単位であるということは
考える必要もなかったのでありますが、
💀文化が進むに従って
💀国家相互間の利害関係が密接となり、
今日においては、
🌕️国家をその一単位とするさらに大きい集団生活、
すなわち
🌕️世界集団というものを考え、
この世界集団の中における
🌕️国家のありかたというものを
考える必要が
生じてきたのです。
つまり
今日の国家は、
🌕️世界全体と密接な関係をもち、
🌕️この関係を無視しては、
🌕️国家の正しい姿はつかめない
という段階に立ち入ったのです。
そこで、
世界が、
国家を一単位とする
一つの集団と
なってまいりますと、
🌕️そこに当然、
❇️世界秩序というものが
つくられてこなければならない
のであります。
すなわち、
国家に国家秩序が必要であったように、
🌕️世界には
世界秩序が
かたちづくられてこなければならない
のであります。
このように、
集団生活が
しだいに大きくなり、
発展してくるのは、
宇宙の生成発展の原理から見れば
当然のことであって、
家族から村へ、
村から都市へ、
都市から国家へと
発展してきた集団生活が、
生成の原理に従って、
やがて
国家から世界へと
拡張する傾向に、
今日おかれていると思うのであります。
このように
人間の集団生活が
世界全体にまで広がってまいりますと、
さきにも申しましたように、
❇️この世界全体の
❇️共通の利益を
❇️保護するために、
どうしても
世界秩序というものを
つくる必要が生じてくる
のであります。
そして、
🌕️それぞれの国家は、
🌕️この世界秩序の一単位として
🌕️これに従い、
❌もはや一国家単独の
勝手な行動は、
許されないことに
なってくるのであります。
もしも
ある国家が、
この世界秩序を無視して、
勝手な行動をとる
というようなことがあれば、
人類全体の繁栄を
阻害することになり、
自然の理にそむくことになってくる
のであります。
すなわち、自然の理を通じて、
人間に与えられている繁栄、
平和、幸福を
実現するためには、
集団生活は
しだいに
大きくなる必要があり、
これが大きくなるとともに、
その中の一単位は、
この秩序に
服さねばならないのであって、
このような発展過程をたどることは
生成発展の原理であり、
また
人間の本質でもある
と思うのです。
したがって、
今日、世界秩序を乱す国家が
あるとしたならば、
それはまさしく
自然の理にそむく国家であり、
また
人間の
本質を生かさない国家である、
ということになってくるのであります。
そこで
お互いに繁栄を望み、
平和、幸福を
願うならば、
どうしても
世界秩序を
正しく認識し、
この秩序にすすんで従い、
❇️お互いに
❇️協力しあわねばならない
ということになるのであります。
今日(こんにち)、
❇️世界憲法をつくる運動が
一部の人々によって行われている
ようでありますが、
まだこれを起草し
実践するところまでいかず、
現在ではまだ各国が
個々別々に
その国の歴史と
(その国の)🌕️民度に応じて
🌕️憲法を制定しております。
もちろん
各国それぞれには、
特殊な歴史があり、
特殊な国体をもっていますから、
憲法も、
個々の具体的な条文にまでいけば
それぞれ異なってまいりますが、
しかしその根本精神は、
自然の秩序に淵源をもつかぎり、
人類共通のものであり、
永遠不変のものであると
思うのであります。
したがって、
国家秩序を支える
世界憲法がつくられることは
決して
不可能なことではなく、
❇️人類の努力は、
遠からず(❇️近いうちに)
立派な
❇️世界憲法を
❇️つくりあげるにいたるであろうと
思われます。
(👴👨👩👧👶
👏👏👏👏👏
👏👏👏👏👏)
📖『松下幸之助の哲学』
松下幸之助 著
PHP研究所
(👨ちなみに、
ここでの「世界秩序」は、
イルミナティの提唱する・
目指す世界秩序・
ワン・ワールドとは
まったく別物です。
👩間違われやすい。)
本書は、
松下幸之助が
その生涯をかけて
思案を重ね、
生み出してきた考え方をまとめ、
整理したものである。
その内容は、
宇宙の根源から人間、
社会、
人生全般にわたっており、
壮大な哲学として
読み取ることができよう。
今日の
混迷する人心、
社会を考えるとき、
松下幸之助の遺(のこ)した
この哲学は、
21世紀の
新たな時代を
生きる私たちに、
問題の根本的解決や
新たな生きがい創造への
多大のヒントを
与えてくれると
考えられる。
一人でも多くの方々に
お読みいただくことを
願ってやまない。
(PHP研究所)
新しい世界観
--ということは、
いずれ国家という概念も
変わっていくでしょうし、
(👨だから、ジョン・レノンが
🎵『イマジン』で
地球に「国境なんかないんだ」と
言っている。
彼が暗殺されてしまったことは
実に残念だった。
暗殺を計画した本部は、
優しく有能な人の中に
世界のためになる
どれだけの考え、
哲学、思想が散りばめられ、
堆積していることを
十二分に知っていて
確信犯的に
暗殺している。
その考えが世界に伝播したら
自分たちが非常に困るから。
だから、ジョン・レノンは、
「世界は狂人が回している」
と言ったのだ。)
いずれ国家という概念も
変わっていくでしょうし、
政治、経済、防衛も
変質していかざるを得ない
ということですね。
カーツワイル「もうすでに
国境というものの概念が
変質してきていますね
経済的にはすでに
世界はつながっています。」
(👩愛でも早くつながってください。)
カーツワイル「ギリシャの経済が
世界経済に影響を与える。
製品は航空便で
インターネットを通じて配送され、
音楽、ビデオ、本も
世界中に配信されます。
今日の子供たちは、
ますます『世界文化』というものの中で
育つようになってきています。
翻訳機能は
日増しに向上していて、
国境や言語を超えて文化に親しみ、
世界中で共通の
興味や趣味を持った人たちがつながって
コミュニティーというものを
形成していく。」
(中略)
カーツワイル「ナショナリズムはまだ残っていますが、
特に若い人たちと話をすると、
彼らのアイデンティティーが
「世界市民」というものに
なりつつあることを
ひしひしと感じます。」
(👨👩そうか❤️)
📖『人類の未来』
Al、経済、民主主義
ノーム・チョムスキー
レイ・カーツワイル
ビャルケ・インゲルス
フリーマン・ダイソン
(👨映画『地球交響曲』に出演した
フリーマン・ダイソン‼️)
吉成真由美[インタビュー・編]
えぬえいちけー出版新書 513
より。