熊谷草
歳時記で敦盛草調べてみました。
平敦盛、清盛の甥子にあたります。
一方熊谷草は直実、熊谷次郎直実です。
一ノ谷の合戦で敦盛を討ち取ったと言われてます。
一ノ谷と言えば義経の勝ち戦で知られます。
当時武者は弓の矢が当たらないよう母衣をつけてました。
それがこの花由来のようです。
敦盛は笛の名手でもあったようで戦の前夜、どこからか笛の音。
平家も源氏もこの笛の音に聞き惚れたと言われてます。
そして顔の美しい方だったそうで、直実も泣く泣く首を切ったそうで
それが後々能に歌舞伎など残っているそうです。
戦いに使った母衣に似ていたからの名前が
熊谷草は園芸種でだいぶ増えておりますが
敦盛草は滅多に見れません。
今朝の新聞にも水原の熊谷草載っておりました。
ここは自生日本最大級といつまでも残しておきたい
宝です。
日中は暖かいのですが朝晩冷えますから地温が
上がらず花の種蒔いても中々芽が出ません。
敦盛草も熊谷草も当地では見られません。
悲しい物語ですね。
多分そうだと思います。
万太郎が始めて見た植物図鑑には載っていたと
思います。日本の芸能に取り入れられているので
当然その時代の植物好きには知られていたのでしょう。
俳句を知ると古典芸能に関わることなど
想像外ですね。
熊谷草は私がこの地へ来た頃は山地にも
ありました。古里では見かけない変な花と
思ってました。直ぐに絶滅、残るところは
限られた場所だけになって仕舞いました。
直実は後々、この事を悔いたのか出家しました。
そして近隣から慕われるお坊さんになったようです。