que sera, sera なるようになってるよ~!

2027年W杯に行けることを祈りながら、歌舞伎を楽しむ児太郎さんと隼人さん贔屓の毎日

あれから10年。。。

2007-06-30 12:11:37 | Weblog
香港が中国に返還されて、早いもので明日でもう10年経つ。あの時の盛り上がりは結構異常な感じやったよなあ。。。私が香港に来たのは1991年の10月の終わり。親とは6ヶ月で帰ると言う約束やってきた。6ヶ月で帰れるはずもなく、来てすぐに知り合った香港人の彼と一緒に住み始め、あっという間に6年が過ぎ1997年の年が来た。香港人の彼は私にはもったいないくらい優しくて尽くしてくれたけど、この人とは結婚せーへんのやろうなあ、って漠然と思いながら付き合っていた。私の中では1997年の返還が終わったら一旦日本に戻りたいという気持ちが強くなっていたけど、理由もなく帰ることを彼に切り出せずにいたところ、友達の誕生パーティで知り合ったアメリカ人の男性に恋をしてしまった。彼からの熱烈なプッシュを受け、私はこのままずるずる香港人の彼と一緒にいるのはよくないと思い、とりあえずしばらく日本に帰りたいと言って日本への帰国を決めた。97年の秋、香港人の彼はどう思っていたのかはわからへんけど、私は決めたことは曲げない性格なので、だまって私を日本に返してくれた。日本に帰った私は、しばらくは両方の彼と連絡を取り合っていたが、帰国1年後にもう二度と香港に戻るつもりはないと、香港人の彼に別れを告げた。そのときには、もう1人のアメリカ人の彼とも連絡があったりなかったりで、でも英語が話せなかった私はなんとか英語で彼とちゃんと話をしたいと思って、勉強を始めていた。そして、日本に戻って2年後平凡で退屈な日本の生活に飽き飽きして、やっぱり香港に戻りたいと思い、仕事を探しうまい具合にすぐ見つかり、1999年の12月にまた香港に戻ってきた。このときの親の反対は1回目とは比べもんにならへんくらい強かったけど、最終的に私はこのまま日本にいても、それは私が望む幸せではないという言葉に負けて、香港行きを許してもらえた。香港に戻ったら、教えてもなかったのにアメリカ人の彼から連絡があり、またちょくちょく会うようになった。でも、彼は私とのことは真剣ではないとわかっていたので、はやくわかれなあかんなあ、と思いつつもやっぱり好きやし、、とずるずる続けてしまっていた。でもある日絶対に別れようと決め、きっぱり彼と別れた次の日、友達の紹介でイギリス人のPにあった。彼はシングルファーザーで前の彼女との間に2人の子供がいる。元彼女とは結婚はしてないけど、別れたあとは彼女が子供を引き取って育てていた。Pは子供のことはすごく愛していたので、しょっちゅう香港にもつれてきてたし、イギリスに私も一緒に会いに行ったりしてた。私と子供との関係は良好で、出来たら娘を引き取って育てたいと思うくらい、私も彼の子供を愛していた。3年付き合ったあと、彼はマニラに転勤になり、一緒に行くとか行かんとか色々あったけど、結局マニラには住みたくないというのと、住むにしても結婚してなければビザとか面倒なので、彼は結婚しない主義の人だったからその点で折り合いがつかず、遠距離を1年ほど続けた結果、彼に新しい彼女が出来て、別れることになった。その頃には、私にも好きな人がいたので、お互い様といえばお互い様。でも、私の場合はその時はまだ片思いだったんやけどね。そして、その彼とも出会ってから3年が経った。その間色々あったけど、今は落ちついた関係で幸せです。今日の香港も10年前の香港と同じようなお天気で、確かあの時も雨が降っていたわよね。これは香港人の涙雨かしら、、、とお友達の家でTVをみながら言ってたっけ。今日もその時と同じ友達と一緒にお酒を飲む予定。二人ともあれから1度香港を離れたのに、また戻ってきて近くに住んで、10年前と同じように過ごすなんて人生っておもしろいなあ。。。そして、私は明日の夜からバンコクに行き、月曜日にはクラビに移動し、昨日からプーケットに行ってる相方と合流します。今度クラビに来るときは彼と一緒に来れたらいいのになあ、って願っていたとこが現実になり、本当にうれしい。今は雨季なのでお天気が心配やけど、1週間楽しんできます~!また、帰ってきたら旅行記をアップします~!写真もいっぱい取ってくるぞー!
コメント (8)
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