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87. 至高者 (アル・アアラー)

2008年03月19日 | ジュズ・アンマ解説
 この章は、賞賛されるべきアッラーのお力から起こる現象のいくつかを解明しています。また、アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)に、信仰ある人々の益になる善い訓戒と共に、成功というものは、罪や間違いから清まろうとする人々の分け前であることを伝えなさいと、呼びかけています。

 まず、アッラーの偉大さと、かれへの賞賛、そしてかれに相応しくない負の部分(いろいろな性質や動き)をかれに連結しないことに人間の目を向けさせることでこの章は始まります。それの意味が:「至高の御方,あなたの主の御名を讃えなさい。」です。かれこそがご自身の権力と所有力において、他のものの上にある至高なるお方である、という意味です。

 アッラーは、「創造し,整え調和させる御方」、つまり、アッラーは諸物を創造し、それらを整えて調和させ、創造物の外見がかれの英知に適い、かつ有益であるようにされた、という意味です。例えば、人間の創造について考えてみてください。あなたはきっと、消化器や呼吸器、視覚聴覚を司る器官の精巧さ、両手と両足を流れる血管、そして人間の生を支えているすべての体の器官に驚くことでしょう。他の創造物との大きな違いである、人間の持つ理性にも驚くことでしょう。

 クルアーンは、いくつかのアッラーのお力の現象について言及します:「またかれは,法を定めて導き」、つまり、アッラーは創造物それぞれに地上における役割を与えたということです。アッラーによって善と悪の道に導かれた人間は、この二つの道の説明を受けますが、それはどちらかを選ぶためです。他の生き物はアッラーにより生活の方法へと導かれました。生物学を専門とする学者たちは、動物たちの生き方や、種の保存のしかた、巣の作り方、特別なインスピレーション無しにはありえないような方法で卵を温める姿などに感心し、驚嘆します。このインスピレーション(イルハーム)のことをクルアーンは、「導き(ヒダーヤ)」と表現しています。ヒダーヤの出元はアッラーです。

 続けてクルアーンは、植物を生えさせるアッラーのお力を説明します: 「牧野を現わされる御方。それから,浅黒く枯れた刈株になされる。

 アッラーは、家畜を育てるための牧場の源である植物を大地から出現させました。この植物はやがて枯れ、バラバラになり、黒に近い色に変わっていきます。風が吹くと、飛んでいってしまいます。現世の生活の結末もこれのようであり、現世に属するすべてのものは消えゆきます。

 そしてアッラーは、ムハンマド(アッラーの祝福と平安がありますように)にかれのメッセージを与え、人類に遣わしたことについて解明しています。ムハンマド(アッラーの祝福と平安がありますように)は天使ジブリールからクルアーンを伝えられ、彼は決してそれを忘れることはありませんでした:

 「われは,あなたに読誦させるようにした。それであなたは忘れないであろう。アッラーの御望みがない限りは。本当にかれは,表われたものと隠れたものを知っておられる。

 アッラー曰く:ムハンマドよ、われはこのクルアーンをあなたに読ませよう。そしてあなたは、アッラーがナサフ(アッラーにより幾節の効力を失わせること)によってクルアーンを忘れさす以外は、けっして忘れることはないだろう。実にかれは、しもべたちの会話や行動などのあらわにされたものも隠されたものもご存知である。

 このことこそ、目に見えない知らせであり、実際に実現したことであります。ムハンマド(アッラーの祝福と平安がありますように)は文盲にもかかわらず、長いクルアーンを暗記し、忘れることはありませんでした。

 アッラーはかれの使徒であるムハンマド(アッラーの祝福と平安がありますように)に語りかけられます:「われはあなたに(道を)平坦で,安易にするであろう。」つまり、ムハンマドよ、善の道を容易にするだろう、という意味です。イスラームの法則は、善そのものであり、安楽に導くものです。クルアーンは、雌牛章の中でこのように言っています:「アッラーはあなたがたに易きを求め,困難を求めない。」(雌牛章185節)つまり、アッラーは、かれが人間のために決められたことにおいて、かれらに易きを求めている、ということです。

 アッラーは、人々が二グループに分かれることを告げています:真実や善が提示されると、それから訓戒や益を得る人たち。彼らは成功し、幸福を得ます。そして、本能が腐敗し、助言から何も学ばない人たち。彼らは、アッラーの永遠なる罰を受けるに相応しい不幸な人たちです:

 「だから訓戒しなさい。訓戒は(聞く者に)役立つ。訓戒は,主を畏れる者に受け入れられよう。だが最も不幸な者は,それを避けるであろう。かれは巨大な炎で焼かれよう。その中で,死にも,生きもしない。

 アッラーは仰っています:ムハンマドよ、人々にアッラーの導きを訓戒しなさい。彼らを諭し、かれに背くと罰があることに注意させなさい。「訓戒は(聞く者に)役立つ。」有益な訓戒をしなさい、という意味です。「訓戒は,主を畏れる者に受け入れられよう。」アッラーを畏れる者はその訓戒から益を得る、という意味です。「だが最も不幸な者は,それを避けるであろう。」不幸者は訓戒から遠ざかり、それを避ける、という意味です。「かれは巨大な炎で焼かれよう。」彼は、“巨大な炎”である地獄の火で燃やされます。地獄のあまりの熱さと、そこで苦しめられる人たちの痛みの激しさのために“巨大な炎”と表現されたのです。「その中で,死にも,生きもしない。」不幸者はその中で死ぬことも、休憩することも、有益な生き方をすることもありません。

 「だから訓戒しなさい。訓戒は(聞く者に)役立つ。」:この節は、訓戒を与え、指導を続ける人たちは常に存在しなければいけないと、社会に訴えかけています。そして厳選された宗教的な知識を学ぶことを人々に思い起こさせることも重要です。なぜなら社会というものには、受容性とそれを実行する準備が備わっているからです。かわって訓戒を拒否することは、道徳心低下と、腐敗の拡散、そして真実が踏みにじられることへと導きます。

 成功と救済は、多神と罪業から浄化された者、健全なる善で自身を成長させた者のものであるとアッラーは解明されています:「だが自ら清めた者は必ず栄え」、それに加えた言及があります:「かれの主の御名を唱念し,礼拝を守る。」つまり、アッラーはお一人であると確信し、心と舌でかれを念唱し、五回の礼拝に立つ者です。  現世に依存することは、病の基本であるともアッラーは解明されています。なぜなら、現世への依存は、訓戒を受容することとそれを実行することから人間を遠ざけるためです。これは去り行く現世の真の姿に留意し、現世よりも重要で永久の来世のために行いを重ねるべきだという、人々に対する勧告です:

 「いや,あなたがたは現世の生活の方を好む。来世がもっと優れ,またもっと永遠なものであるのに。

 次の言葉でこの章は終わります:

 「これは本当に,昔の啓典にあり,イブラーヒームやムーサーの啓典にもある。

 つまり、この章が含む意図や、「自ら清めた者は必ず栄え・・・永遠なものであるのに。」の言葉は、イブラーヒームとムーサー(アライヒマッサラーム―お二人に平安あれ)に下された啓典にあるものと重なっているということです。