私の感じたこと

リロケーションを専業とするラビットホームズの岩崎和夫といいます。
私が日々感じたことなどを素直に本音で書き留めます。

懐かしの日本アルペンラリーを語る会

2008年03月22日 | スポーツ
今日の午後3時から、芝公園脇の東京プリンスホテルにて「懐かしの日本アルペンラリーを語る会」が開催されました。

日本アルペンラリーは、第1回の1959年大会から最後となる1976年の第18会大会まで、日本最大級のラリーイベントとして開始されました。

ラリー競技はその当時からかなり開催されていましたが、その規模・参加者・走行距離・行程・スケール全てが日本最大のラリー競技だったと思います。

普通のラリー競技は土曜日にスタートし、日曜日の朝方ゴールするような週末の休みを利用して参加できるような大会が殆どでしたが、このアルペンラリーは全くの別格で、一泊の宿泊で4日間2,000kmを走破しようという日本で初めての大イベントだったのです。


私は1970年代に実はラリーに参加していたのですが、当時は日産プリンス東京販売のサラリーマン。
資金は潤沢ではなく、会社を休む訳にも行かずアルペンラリーには参加できないでいましたが、意を決して参加したのが第17会大会でした。
それまではオフィシャルとして競技に裏側から参加していましたが、競技者として参加したのはこの大会が初です。

4日間で2,000kmを走る訳ですから会社も休まなくてはならない、タイヤも何セットか用意しなければならない。
サポートクルーも友達に頼んで準備しなければならない。
壊れたときの修理用のパーツや、タイヤも準備が必要。

資金のみならず時間も取れないと参加できない本当に日本で一番の大会だったのです。

スケールは違いますが、サファリラリーやパリ・ダカールラリーを小さくした物だとイメージしていただけると何となく理解できるかと思います。


今日は当時の自動車情報誌の記事や記録の写真集・ビデオなどが上映され、参加した競技者・スタッフ・マスコミ・ファン約2百数十名が古き良き時代にタイムスリップしました。

この中では私はまだまだ若手の方で、第1回の参加者の方は約50年前ですからこの場に参加していただいたことだけで素晴らしい事です。


今日の参加者には記念プレートが渡され、30年ぶり以上の久しぶりに顔を合わせる人達も顔と名前が合致するような配慮がなされていました。
私が頂き、会の最中に首から提げていたのは写真にあるプレートです。
これがあって良かった。

日本アルペンラリーは私が参加した第17会大会で不幸な事故が発生し、オフィシャルの方3名が亡くなるというとても悲しい事になりました。

事故の事がテレビ放映されたりしたこともあり、競技は途中で中断。
それまでの成績で競技が成立したのですが、後味の良くない大会となりました。

翌年に第18回が開催されましたが、悲惨な事故を受けて参加者も激減し、結局第18回大会を持って日本アルペンラリーの歴史が幕を閉じました。

それから25年。
アルペンラリーは日本初の国際格式ラリーに形を変え、2001年5月に第19回大会として復活しました。
その翌年にも第20回大会として開催されています。

これが現在のWRC(世界ラリー選手権)ラリージャパンへと繋がっていったのです。

歴史って凄いですね!

僕自身ラリーをやめてから30年の月日が流れ、今日会った人達も30年ぶり以上の方々ばかりです。

あらためて昔の仲間に感動した一日でした。
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