清水邦夫氏の名作『タンゴ・冬の終わりに』を鑑賞してきました♪
『タンゴ・冬の終わりに』
作 :清水邦夫 演 出 :蜷川幸雄
出 演 :堤真一/常盤貴子/秋山菜津子/毬谷友子/高橋洋/月川悠貴/岡田正/塚本幸男/新橋耐子/沢竜二/品川徹/段田安則
清村盛は有名な俳優だったが、突然引退。生まれ故郷の弟が経営する映画館に戻ってくる。妻ぎんは考えた末、彼を追ってこの地に―。
3年が過ぎたある日、昔の俳優仲間であった名和水尾と夫の連がやってくる。
訪れた水尾が見たのは、すっかり狂気にとりつかれてしまった男の姿…。
盛・ぎん・水尾・連―縺れた感情の行き着く、果ては…
日本でそしてロンドンで絶賛を浴びたという『清水邦夫×蜷川幸雄』の名作なのだそう。
1984年に日本初演たこの作品は、1991年にイギリス上演後、ロンドンの劇場で日本の現代劇として、
演出家を始めスタッフ陣は日本人+英国人の演技陣というコラボレーションで約2ヶ月間も上演されたという作品。
今回もキャストは、蜷川さん作品らしく実力派ぞろいです。
蜷川さんの現代劇って始めてかも…やはり“シェークスピア”や時代ものが多いイメージなので、興味津々。
ネタバレなので、文字色変えます。読みたい方はペーストして反転させてください!
この芝居、落ち着いた感じのものかと思って落ち着いていたら、いきなり大きなSEが会場に響き―暗転。
幕が上がって…冒頭の演出に度肝を抜かれました。
ステージは、映画館の階段状の座席。
スクリーン(客席側)に向かって、映画を観ている観客(40人近く)が一喜一憂している。
叫ぶ、笑う、惹き付けられる、怒る…コロコロ変わる感情の波が、目を釘づけにします。さすが、蜷川演出…脱帽です。
お話は、予習していかないと最初は『置いてけぼり』にされます(笑)。
盛の内に抱える不安や彼を取り囲む環境・人、ぎんと水尾の盛に対する愛の違い etc・・・
いろんな要素が詰め込み過ぎくらい、入っているみたいで、今これを書いていても「???」と釈然としない感じがします。
盛に内在する狂気の世界と現実の世界が、交錯しながら話が進みます。
いろいろな考えがあると思うのですが、私は・・・
自分の信じた路を貫こうとする情熱を持つ者『死んだ盛の姉(狂気の世界)=水尾(現世)』とすると、
“自分”の存在価値を自分に見出せなく迷うのが『盛(狂気の世界)=ぎん(現世)』として、私なりに考えて観ました。
ぎんを死んだ姉といいつつも、水尾ではなく(自分に近い存在)ぎんを求める盛も、
自分を愛するゆえ、現実に引戻そうとする情熱を持つ水尾―“光”と感じつつも受け入れられない自分の“闇”に苦悩する盛。
劇中出てくる“孔雀”は、盛自身自分と向き合うという象徴かなぁ、って。
なので、堤真一さんの演技が鍵になる、かなり深い芝居。
“狂気を演じる”といったら三上博史さんと堤真一さんでしょう(笑)。
堤さん、やぱり凄い役者さんです!
絶望し澱んだ瞳、少年の清んだ瞳、希望に満ち溢れた輝きのある瞳…正気と狂気の交錯がきっちり演じきられていて凄い。
脇を固める俳優陣も、演技派ぞろいで中盤からはグイグイ話しに引っ張りこまれます。
ただ、一つ残念だったのは…常盤さんの台詞まわし。
声が通り難いのか、「大きく声を出す事に気を取られてる?」と、思ってしまう程、感情の表現がワンパターンに観えてしまいました。
(周りが、ベテランばかりなので大変だったのだろうとお察しします。ついつい気になってしまう。。。)
役柄である“女優”としての華やかさがあるだけに、ちょっぴり残念に思ってしまいました。
いつもは、時代ものが多い蜷川氏の現代劇。一見の価値ありです。
『タンゴ・冬の終わりに』
作 :清水邦夫 演 出 :蜷川幸雄
出 演 :堤真一/常盤貴子/秋山菜津子/毬谷友子/高橋洋/月川悠貴/岡田正/塚本幸男/新橋耐子/沢竜二/品川徹/段田安則
清村盛は有名な俳優だったが、突然引退。生まれ故郷の弟が経営する映画館に戻ってくる。妻ぎんは考えた末、彼を追ってこの地に―。
3年が過ぎたある日、昔の俳優仲間であった名和水尾と夫の連がやってくる。
訪れた水尾が見たのは、すっかり狂気にとりつかれてしまった男の姿…。
盛・ぎん・水尾・連―縺れた感情の行き着く、果ては…
日本でそしてロンドンで絶賛を浴びたという『清水邦夫×蜷川幸雄』の名作なのだそう。
1984年に日本初演たこの作品は、1991年にイギリス上演後、ロンドンの劇場で日本の現代劇として、
演出家を始めスタッフ陣は日本人+英国人の演技陣というコラボレーションで約2ヶ月間も上演されたという作品。
今回もキャストは、蜷川さん作品らしく実力派ぞろいです。
蜷川さんの現代劇って始めてかも…やはり“シェークスピア”や時代ものが多いイメージなので、興味津々。
ネタバレなので、文字色変えます。読みたい方はペーストして反転させてください!
この芝居、落ち着いた感じのものかと思って落ち着いていたら、いきなり大きなSEが会場に響き―暗転。
幕が上がって…冒頭の演出に度肝を抜かれました。
ステージは、映画館の階段状の座席。
スクリーン(客席側)に向かって、映画を観ている観客(40人近く)が一喜一憂している。
叫ぶ、笑う、惹き付けられる、怒る…コロコロ変わる感情の波が、目を釘づけにします。さすが、蜷川演出…脱帽です。
お話は、予習していかないと最初は『置いてけぼり』にされます(笑)。
盛の内に抱える不安や彼を取り囲む環境・人、ぎんと水尾の盛に対する愛の違い etc・・・
いろんな要素が詰め込み過ぎくらい、入っているみたいで、今これを書いていても「???」と釈然としない感じがします。
盛に内在する狂気の世界と現実の世界が、交錯しながら話が進みます。
いろいろな考えがあると思うのですが、私は・・・
自分の信じた路を貫こうとする情熱を持つ者『死んだ盛の姉(狂気の世界)=水尾(現世)』とすると、
“自分”の存在価値を自分に見出せなく迷うのが『盛(狂気の世界)=ぎん(現世)』として、私なりに考えて観ました。
ぎんを死んだ姉といいつつも、水尾ではなく(自分に近い存在)ぎんを求める盛も、
自分を愛するゆえ、現実に引戻そうとする情熱を持つ水尾―“光”と感じつつも受け入れられない自分の“闇”に苦悩する盛。
劇中出てくる“孔雀”は、盛自身自分と向き合うという象徴かなぁ、って。
なので、堤真一さんの演技が鍵になる、かなり深い芝居。
“狂気を演じる”といったら三上博史さんと堤真一さんでしょう(笑)。
堤さん、やぱり凄い役者さんです!
絶望し澱んだ瞳、少年の清んだ瞳、希望に満ち溢れた輝きのある瞳…正気と狂気の交錯がきっちり演じきられていて凄い。
脇を固める俳優陣も、演技派ぞろいで中盤からはグイグイ話しに引っ張りこまれます。
ただ、一つ残念だったのは…常盤さんの台詞まわし。
声が通り難いのか、「大きく声を出す事に気を取られてる?」と、思ってしまう程、感情の表現がワンパターンに観えてしまいました。
(周りが、ベテランばかりなので大変だったのだろうとお察しします。ついつい気になってしまう。。。)
役柄である“女優”としての華やかさがあるだけに、ちょっぴり残念に思ってしまいました。
いつもは、時代ものが多い蜷川氏の現代劇。一見の価値ありです。