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林家正雀で珍しい噺、「幸助餅」(こうすけもち)によると。
橘屋(たちばなや)の旦那から使いが来たので幸助は伺がった。
幸助の奥様”お玉さん”が橘屋の旦那にこぼすには
「借金がかさんで年が越せない。また、仕事を始めようにもまとまった金が無い」と。
お玉さんは元、橘屋の売れっ子芸者、それを身請けしてくれたので、幸助に感謝している。
借金だらけなので、改めて芸者として出たいと思う。
それだったらと橘屋の旦那が50両催促無しで貸してくれるという。
ただし条件があって、相撲道楽だから店を潰すので、今後一切相撲との付き合いを止めること。
相撲と縁を切ったと誓って、50両懐に橘屋を出た。
柳橋を出て浅草見附にさしかかると、体の大きい男連中に出くわした。
一番贔屓にしていた十五代横綱”梅ヶ谷藤太郎”であった。
巡業から帰って、
「幸助さんのお店にうかがったら引っ越して分からなくなった」
と聞いて驚いていた。
「あすこは訳あってたたんで商売替えをして今は神田橘(たちばな)町に住んでいる」と、
ごまかした。
横綱の弟子で一緒に面倒を見ていた”磯ヶ浜”が幕に入れたと、嬉しい報告。
そうかいと言って分かれようとしたが、旅の土産話でも聞いて欲しいと、
みんなに押されて料理屋へ。
飲む内に相撲道楽が首をもたげ、50両全て置いて帰ってきた。師走の風は冷たかった。
家に帰ったが、この始末、頭を下げて謝っているところに、橘屋の旦那が入ってきた。
経緯を聞いて、横綱の所に行って、掛け合って返して貰うと、出掛けたが返してもらえなかった。
橘屋は怒りながら帰って来た。
この話を聞き幸助は発憤して、女房を芸者に出す訳にはいかないからと、もう一度50両貸して欲しいと頭を下げた。
橘屋が聞くので、夫婦そろってアイデアを出した。
お餅を搗いてあんころ餅を作り、紅白の餅を幸いが来ると”幸助餅”というネーミングで売り出したい。
50両の金をまた出して貰った。
これを元手に両国橋の袂に年が明けた早々に店を出した。
回向院相撲 折から回向院では相撲の初日が開かれようという時期。
幸助は暗い内から餅を搗いて開店に備えた。
そこに橘屋の旦那が祝いに駆けつけてくれた。
まだ暗い通りからワッショイ、ワッショイの掛け声がしてきた。
店の前で止まると横綱の開店祝いだと、大八車3台分の小豆、餅米の俵を積み上げた。
そこに横綱を筆頭に幕内力士が紋付き袴で開店祝いに駆けつけた。
が、当然、橘屋は気分が収まらない。
横綱が聞いて欲しいと語り出すには
「50両返せとのお話、返す事は簡単だがそれをしたら、
『相撲にやった金を再び懐にしまった』と評判がたつ、すると橘屋さんの生涯の恥になる。
恩を仇で返した事になる。
で、グッと我慢をした。
新しい店が出来たら一番で駆けつける気で待っていた。お祝いに50両受け取って欲しい」。
「橘屋さん聞いてくれましたか」、
「だから、相撲を贔屓にしなくちゃいけないと言ったんだ」。
磯ヶ浜は新番付を差し出し、お玉が店先に張り出した。
横綱は裸になって、以前幸助から贈られた化粧廻しを締めて、餅を搗き揚げた。
柳橋の芸者が揃って華やかに店を手伝ってくれたので、売れに売れて、
江戸中の評判になった。
幸助はお玉に「良い案を練ってくれた」と感謝の気持ちを伝えると、
お玉は「アンタぁ、頭を上げてくださいな。私は餅屋の女房だ。アンをネルのは慣れてます」。
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