いまどこ ―冒頭表示2
キーボードの2段めと3段目はなぜ互い違いになっていないの - 教えて!goo:
に答えてってな形で部分統合しようかナとも思う。
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/c11db5b33d4a1d67900e568ab0dc6273ではちょっとスレ違うと思う。
http://www6.atpages.jp/~raycy/Q/ を http://www6.atpages.jp/raycy/blog2btron/door やらの作業経過を取り入れつつ、ふくらませるようなかんじで、、
http://www6.atpages.jp/~raycy/Q/ を http://www6.atpages.jp/raycy/blog2btron/door やらの作業経過を取り入れつつ、ふくらませるようなかんじで、、
大河内一男 有用
吉田 しおり「大河内一男の理念の中における有用性の概念について」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004622588
「さて,経済学者たちは口をそろえて,『主婦労働は価値を生まない』という。なかに主婦に対して同情的な学者は,『主婦労働は有用だけれど,経済学的には価値をうまないのです』と気の毒そうに説明してくれる」
主婦労働は,現実の階級社会では部分的には不払い労働で,しかも有用なのだから,社会全体が主婦の無償奉仕にたいし,年金といったような制度で補償することが考えられるだろう
すなわち、わが国の高度成長は海外から技術導入に依存して達成されたものなので、導入した技術をより日本の条件に合うように各社がそれぞれに工夫を凝らして実用化を図る過程で、各企業には導入した技術を独特な方式で実用化するノーハウが蓄積されることになったが、それはある一つの企業にとってのみ有用性をもつfirm-specificなノーハウであるため、そういうノーハウを身につけた従業員はその企業でのみ価値を持つ人材となり、それらの従業員に安んじて働いてもらうために終身雇用制と年功序列型賃金体系という人事制度が生まれてきたと考えられるからである。
スミス『道徳感情論』の全体構造を知るうえで、同感論の基本構造、特に公平な観察者、良心、一般規則を理解することが有用と思われる。
「水ほど有用なものはないが、水ではほとんどなにも購入できないし、それと交換にほとんどなにも入手できない」
信頼性、正確性、有用性、目的適合性など、いかなる保証もいたしません。
雇用者は従業員に関するある種の有用な基礎情報をえる件r煮を持っている。
そのような課題があるものの、時間と場所の選択肢を大きく広げてくれるライブシステムの有用性は大いに強調したい。
近年、シルバー人材センターの請負労務で工場で労災に遭うというような事件もいくつか起こり、法制上派遣もできるという風になったりもしたんですが、いずれにしても、そういう実質論が大事なんであって、過度なリーガリズムは必ずしも有用とは限らないという面にも注意を払っておく必要があろうと思います。
「知識の有用性」
大河内の社会政策概念では、労働力の存在状態は、①「直接の労働行程」、②「一時的休止=傷病」、③「恒久的脱落=老齢・廃疾」、④「一般的危機の段階=大量失業と生活危機」というように、資本との結びつきないし資本にとっての有用性が直接的である順に識別され、①の労働力を「維持培養」し「把握」するための政策だけが、「本来の社会政策」とされる。②に対する政策(健康保険や労災保険のような社会保険)は「副次的」社会政策に過ぎず、③④は「合理的手段の体系」としての社会政策の埒外にあった。老齢または「廃疾」は、「本来労働力政策としての社会政策の対象にはなり得ない」というのである。
「宗教の有用性」
ワーカーズ・コレクティブ調整センター編1995『労働者の対案戦略運動―社会的有用生産を求めて』
とはいえ、もしも任期制導入が教育・研究にプラスの効果をもたらすということがあるなら、労働組合の原点を措いても一考が必要ということになろう。けだし、現代の多くの労働組合は労働の社会的有用性の吟味・向上をもその運動課題としており、また多くの労働者が従事職業を自己の消費生活の手段として位置づけているばかりでなく、自己の労働を通じて社会=他人に貢献することに喜びを感じているからである。われわれが「処遇」の劣等性にもかかわらず大学教員を続けているのは、いまさら別の職業に就くべくもないということもあるが、教育や研究における手応え・成果を労働のさまざまな場面で感じるという喜びの慰謝に拠るところが大きい。
たしかに「多様な経験」は教員の発達にとって有用であろう。だが、
人間は、野生の猪を捕らえ、人間にとって有用な動物として豚を作り上げた。
その結果かどうか、ちょうどその頃東大を卒業した学生たちは、現在では65歳前後で、高度経済成長の担い手たちであり、また談合や汚職の最も激しい世代の人間たちである。まさに、彼らは「肥えた豚」になってしまった。安定した豊かな生活だけを目指すと、猪も野生性を失い、豚になる。
スミスによると、この「富」というものは、その有用性や効用からではなく、むしろ他の人々からの「よく見られること、注目されること、共感、好意、そして是認といった関心を受ける」ために求められるものである155。
スミスによると「王侯たちの宮廷や、貴族の応接室での成功と功績は、知識をもち、事情をよく知っている者の評価によるのではなく、無知、高慢そして尊大な上長者の気まぐれや愚かな行為に頼る」ものであり、「諂いや愚かさが有用さや能力よりもしばしば優位する」164。