いまどこ ―冒頭表示2
キーボードの2段めと3段目はなぜ互い違いになっていないの - 教えて!goo:
に答えてってな形で部分統合しようかナとも思う。
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/c11db5b33d4a1d67900e568ab0dc6273ではちょっとスレ違うと思う。
http://www6.atpages.jp/~raycy/Q/ を http://www6.atpages.jp/raycy/blog2btron/door やらの作業経過を取り入れつつ、ふくらませるようなかんじで、、
http://www6.atpages.jp/~raycy/Q/ を http://www6.atpages.jp/raycy/blog2btron/door やらの作業経過を取り入れつつ、ふくらませるようなかんじで、、
濡れ落ち葉の誕生
生垣の剪定をしながら思った。緑の儘ままあるいは新芽は赤いまま刈られる。側溝のコンクリふた上のへりに、既に散って枯れた葉も僅かにある。落ちた葉は、なぜ枯れるに任せてはいけないのか?森林では、落葉が、下草を押さえ、腐葉土となるではないか?ところが、そうはならないのだ、たぶんここでは。
腐葉土工場は、団子虫ミミズ天国か?団子虫牧場。畑はミミズ牧場。ミミズを働かせるミミズ使い。
巨大コンポスト工場だと60℃ぐらいに高温で、団子虫ミミズはいないのかな?
道は、団子虫工場、ミミズの養殖、モグラの繁殖とは相容れぬであろう、たとえ土道であろうとも。増して今は舗装時代。道路に落ちた葉に、どのような生態系が、器世間(有情世間も?)が関与してこようか?ただ、枯れるのみ。乾いていれば、風に運ばれる。濡れれば、、、、 それでも 団子虫はやってこない。棲んでいない。。。 てな感じ?
cf.ミミズとコンクリと
生垣の剪定をしながら思った。緑の儘ままあるいは新芽は赤いまま刈られる。側溝のコンクリふた上のへりに、既に散って枯れた葉も僅かにある。落ちた葉は、なぜ枯れるに任せてはいけないのか?森林では、落葉が、下草を押さえ、腐葉土となるではないか?ところが、そうはならないのだ、たぶんここでは。
腐葉土工場は、団子虫ミミズ天国か?団子虫牧場。畑はミミズ牧場。ミミズを働かせるミミズ使い。
巨大コンポスト工場だと60℃ぐらいに高温で、団子虫ミミズはいないのかな?
道は、団子虫工場、ミミズの養殖、モグラの繁殖とは相容れぬであろう、たとえ土道であろうとも。増して今は舗装時代。道路に落ちた葉に、どのような生態系が、器世間(有情世間も?)が関与してこようか?ただ、枯れるのみ。乾いていれば、風に運ばれる。濡れれば、、、、 それでも 団子虫はやってこない。棲んでいない。。。 てな感じ?
cf.ミミズとコンクリと
寺田寅彦 全機
和辻哲郎「風土の現象」(雑誌『文学』昭和十年八月「自然の文学」特集号)、和辻哲郎『風土』昭和十年
寺田寅彦 蒸発皿 OR 螢光板 吉村冬彦
日本人の自然観 寺田寅彦
(追記) 以上執筆中雑誌「文学」の八月特集号「自然の文学」が刊行された。その中には、日本の文学と日本の自然との関係が各方面の諸家によって詳細に論述されている。読者はそれらの有益な所説を参照されたい。またその巻頭に掲載された和辻哲郎(わつじてつろう)氏の「風土の現象」と題する所説と、それを序編とする同氏の近刊著書「風土」における最も独創的な全機的自然観を参照されたい。自分の上述の所説の中には和辻氏の従来すでに発表された自然と人間との関係についての多くの所論に影響されたと思われる点が少なくない。また友人小宮豊隆(こみやとよたか)・安倍能成(あべよししげ)両氏の著書から暗示を受けた点も多いように思われるのである。
なお拙著「蒸発皿(じょうはつざら)」に収められた俳諧(はいかい)や連句に関する所説や、「螢光板(けいこうばん)」の中の天災に関する諸編をも参照さるれば大幸である。(昭和十年十月、東洋思潮)
和辻哲郎「風土の現象」(雑誌『文学』昭和十年八月「自然の文学」特集号)、和辻哲郎『風土』昭和十年
寺田寅彦 蒸発皿 OR 螢光板 吉村冬彦