初めて大震災を体験した、阪神淡路。
地震はないと、その頃みんな言っていた関西で。
大阪の豊中北部のマンションにいた私。地震後何を買いにスーパーに行ったのか覚えてないが、空になってるお店の棚にびっくりした。
水道管が壊れて、道を水が流れていたこと。豊中市役所の窓ガラスが、いっぱい割れていたことを覚えている。
その後はテレビで神戸の惨状を見て息を飲んだ。
まもなく仙台に引っ越しして、
その十六年後にあの東日本大震災を経験する。。。
停電は三日間。断水は二十日間。
それでも、今回、備えを見直す緊張が続きました。
だって、大阪のあの台風の直後の北海道の地震。ただごとではない気がするよねえ。
今年は広島岡山の豪雨に、大阪北部地震があったばかりなのに。
災害で家族を失ったり、家を失ったりするのも、想像するのと経験するのでは、全然違うのだと思う。
ライフラインの停止であっても同じくだ。
東日本大震災の後思ったのは、
みんな自分の被害を受け止めるのが、本当は精一杯。
情報は大事だけど、被害はそれぞれ細かく違ってて、均一ではない。
みんなそれぞれの非常事態。
情報受け取って、疲れたり、苛立ったりすることの方が多いのだ。
私は津波で多くの人が亡くなってると知った時、
今すぐここを逃げ出したいと、いたたまれなくなった事を忘れない。
でも、今となっては、逃げるとこないねえ。
日本列島、どこもかしこも、
災害に無縁ではいられないと知りました。
地震、台風、噴火、豪雨洪水。
それによる、避難、停電、断水などライフラインの停止。
必ずくると思って、想定して備えなければならないですね。
ある先生がおっしゃってたそうです。
南海地震の前に、北海道で大きな地震がある。そして次は首都圏地震があり、東南海地震と続く。
その先生は、今はマレーシアに避難されてるそう。😱
だからと言って、いつかわからないから怖いし、そのうち気が緩んじゃいますよね。
災害の緊張は人心を疲弊させますから。
でも私達はそういう日本列島に住んでます。
心にとめて、機会あるごとに備えるしかないですね。