眺める空に描くもの

高齢者女子のおひとりさま暮らしノート

「2ちゃんねる話」と「2ちゃんねる風」な話と

2024-09-14 17:30:50 | ネット界隈のお話
「2ちゃんねる」そのものには足を運んだことはないけれど、動画サイトをよく見るように
なってから、話題となったスレッドをまとめた動画をよく目にするようになった。

まさに泥沼な離婚劇といったものが多いのだけど、私が好きなのはほっこり系。
特に血がつながっていない子供を自分の子供だと思って懸命に育てていらっしゃる方の
お話なんて、すてき過ぎて、思わず、涙ぐむ。そして、私も養子を迎えるといった
選択もあったのかもと少し越し方を振り返る。

いや。まさか、最初のがん闘病のあと、30年近くも生き延びるなんて考えていなかった。
子供が産めなくなって、自分の残り時間も多くないと思ったから、結婚なんて、全く
考えられなくなったのだけど、理解ある人と巡り合えたのなら、こういう方たちのような
幸せもあったのかもしれないなと思ってみたり。今更だけど。

笑えた「ほっこり話」をちょっと。
結婚して別居している息子さんが暗い顔をして実家に戻って来て、
「もかしすると、娘は自分と血がつながっていないかもしれない」と落ち込み、泣いていたそう。
血液型が、自分とは合わない血液型だったそうで、「娘はかわいいし、大事だし、何があっても
自分の娘だけど、本当のことが知りたい」と。お父さんの方はその話を聞いて、頷きながら、
もらい泣き。その話を聞いていたお母さん。「アホか。こいつら」とあきれる。
「あのね。娘ちゃんはあんたのお嫁さんの連れ子だから、あんたと血がつながっているはず
ないでしょ。お嫁さんとの間に生まれた息子ちゃんはあんたと血がつながっているけど」とお母さん。
息子さん、「勘違いしてた」と赤くなったというお話。
忘れるくらい、自分の娘だと思ってかわいがっていらっしゃる様子が想像できて、ほっこり。

同じような話で、養子で成長し、その事実を知らなかった子供さんが、戸籍を取り寄せたとき、
養子だと知って大ショック。「どうして教えてくれなかったんだ?」と親御さんに泣きながら
訴えると、「忘れていたんだから、仕方ないだろ」とお父さん。
いつかはどこかのタイミングで教えるつもりだったそうだけど、自分の子供だと思って
育てていたから、次第にそのことを忘れていたのは事実だったとか。
そんな風に言われて、ポカン状態だったけれど、どこかで納得して、今まで通りに。

そのほか、夫さんが浮気相手と失踪。妻さんに浮気相手の子を押し付けたという修羅場だけど、
妻さんはその子をすぐに引き取り、自分の子供として大切に子育て。何年も経ってから、
「子供を返せ」と言われても、「返さない。私の子供だ」と押し問答。そんな修羅場に、
大きくなった子供さんが「おばさん、だれ? 私のお母さんはこの人しかいない」ときっぱり。

血のつながりこそが大事と考える人も少なくないものの、昔から、「産みの親より育ての顏」という
ことばがあるように、血縁ではない絆を育てることもできることが、何かしら「明るい光」の
ように感じてしまうのです。

そんな「2ちゃんねる」風なうちの話。

父方の祖父の家は「2ちゃんねる」話によくあるように、子供に恵まれずに養子を迎えたそう。
養子を育てている中で、思いがけず、実の子供が生まれた。それが祖父。
つまり、祖父のお兄さんの家系は私たちとは全く血がつながっていない。
それでも、一番の親戚らしく私たちにも接してくれたのが、父の従兄弟に当たるAおじさん。

つまり、祖父と血縁のないお兄さんの子供として生まれたのがAおじさんでした。
父よりもずいぶん、年下だったこともあり、両親がそれぞれ亡くなったあとも、
気にかけてくれ、田舎のよくわからない親戚の橋渡しをしてもらい、私はおじさんに
連れられて、ご近所に両親の法事のお礼など回らせていただいたものでした。

父の田舎には私たち一家は一度も住んだことがないにもかかわらず、父が長男家系のせいで、
田舎の風習については煩雑な気配りが必要だったけれど、私は両親亡きあと、Aおじさんを
いつも頼りにして、教えてもらい、ひとり暮らしのおじさんには、おみやげやお弁当を
持っていくなどして、健康面などを気にかけていました。

田舎は私が住んでいるところから車で2時間近くもかかるので、なかなか、行ける場所では
なかったけれど、1か月に一度はお墓まいりがてら、田舎に足を運び、必ずAおじさんの
家にも立ち寄って、ご機嫌うかがいをしていた。

Aおじさんの息子さんたちも独立して、おばさんも施設でお世話になっていたので、おじさんは
ひとり暮らしだったので、私がご飯を持って行くと、とても喜んで、「(私)ちゃん、帰って
来たか~」と、にこにこ。
まさに、私の実のおじさんという親しい立ち位置を続けてくださっていた。

結局、おじさんは庭で倒れて亡くなってしまい、ご近所さんに発見していただいたそうで、
私は兄と葬儀に出席した。うちの方からも父の妹たちが出席したのだけれど、こちらの人間以外に
たくさん集まっていらっしゃる方たちのほとんどほ私たちが全く知らない方ばかりだったのが、
少し不思議でした。

私たち兄妹にとってはAおじさんは筆頭の親戚みたいな立場だったのに、おじさんの方の親類縁者の
方のほとんどを私たちは知らないのはやはり、血縁関係がないということ?

Aおじさんの奥さんのあたるAおばさんは、母同様に早くに認知症になってしまったものの、
若いときは、私たちにもよくしてくださっていたのに、こちらのご夫婦以外は、お子さんのことも
よく知らない「距離」があったことに気がつく。

Aおじさんは「私が一番、親戚では近い立場だからね」と、どこかプライドを持っている風によく
口にしていて、私が若いころ、おじさんは、私に縁談を持って来たことがあった。
それは、Aおじさんの息子さんとの結婚。おじさんは、どこかでは血のつながっていないことを気にして
関係を密にするために、縁談を持って来たのではないかと私はひそかに想像していた。

その縁談は、私の母の「うちの娘は××くんとは合わない」と、ばっさりでおしまいだったけど。
母の縁談のお断りは、こちらがハラハラするほど、キレッキレだった(笑)

Aおじさんの納骨にも立ち会ったのだけど、お墓の場所がうちのお墓とは別の墓地に合ったことに
驚いた。私たちと同じ苗字、よく知っている名前が並んだお墓。なのに、場所すら
知らなかったという、どこかしらの「距離」。それが血つながりが起因なのか、いまやもう、
くわしいことを知る人もいないけれど、そんな風に人々の暮らしや思いは時の流れに
埋もれて行くんだろなあと思う。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿