古西祥の高校サッカーは昨日で終わりを告げた。
三年前、ウチの塾から祥と同様に高校サッカーに夢を抱いて静岡に羽ばたいた知樹はどうなったか。
静岡学園は先週の6日、準決勝常葉橘戦で敗退。知樹の国立競技場への夢もまた潰(つい)えた。
この試合に知樹はスタメンで出場していない。静岡学園サッカー部関連のサイトの中にサブの指導者が書いたと思われる日記がある。その中の記述を以下に・・・。
最前列で応援する哲太、ショージ、中村、林内、滝口・・・・3年生、「心ひとつ」君らも闘っていた。
この中村が知樹かな・・・。
今から2年前、大森の剣道の試合、東海大会を藤枝に見にいった帰りに草薙にある静岡学園のグラウンドに知樹の練習を見に行った。あの時、知樹は1年の夏だった。
そしてその年の暮れには塾に姿を見せてくれた。
思えばそれが最後だった。
それでも6日の常葉橘戦、「心ひとつ」で同期のメンバーたちの試合を応援することができたんだろうか。それで自分が過ごした三年間に落とし前をつけることができたのだろうか・・・。
いつか聞いてみたい。
昨日、鈴鹿スタジアムでの試合終了後、観客がドッと出口に殺到するなかを俺はあいを引っ張って最上階へと場所を移動した。
「お父さん、帰らへんの」「もうちょっと待っててや、もうちょっと見ておきたいんや」
ピッチでは試合に敗れた三重高イレブンが下級生が陣取る場所まで歩いていく。そして整列・・・頭を下げた。
三重高サッカー部は部員が少ない。たぶん三年生は皆ベンチ入りしているとは思うが・・・それでも俺は、最前列で声をからして応援していたかもしれない三年生を思ってベストリスペクトで拍手をした。あいが怪訝そうに、それでも真似して拍手をした。
17期生、中村知樹へ。
落ち着いたら古西の弟も交えて一度会おうや。たくさん話したいことがあるんだ。
千紗が姿を見せ言うことにゃ、「英単語がまったくできないんです。明日から朝に来ますから英単語やってください」
この類のコメント、本当に困る。英単語くらい自分でやってほしいわって言うの、ruthless ? 「自分だとなかなか・・・」 そんな程度の自己管理ができなくて津東から立命館やらアジア太平洋やらと吹いてんの!
とまあ、言いたいけれどブログはこんな時に俺が思い出したくない証拠を残してる。9月初旬、やはり千紗から朝練のリクエスト。かまへんよと言いながらも俺は毎日のようにベッドに沈んでいた。あん時の借りを返すとするか・・・。
「明日から午前7時の朝練開始や。オマエもどう」 これ幸いにと塾で寝泊りしている隼人にネタを振る。「ええっ!」
中3のクニが数日前に二日ほど塾を休んだ、父方のおじいちゃんが亡くなったとか。
深夜0時、数人となった気安さもあり聞いてみた。
「おじいちゃん、どこで亡くなったんや」「津工業の近くの病院」「遠山さんか」「そうそう」「病気か」「うん、・・・癌やった」「亡くなった時にクニはおったんか」「おらんかった」「見舞いには」「行ったけど、弱ってからは行かんかった」「なんで」「・・・だってイヤやん・・・かわいそうで・・・」「・・・そりゃそうやけどな、やっぱり最後まで見とらなアカンねん」
ブログを見ると、杉野は今日も祖父を訪ねたという。言葉のキャッチボールは空振りに終わったようだ。こんな日もある、いや、こんな日が普通なのだ。普通の日が綿々と続くなかに、不規則に交錯する一瞬がある。宝捜しのような・・・あてどないジグゾーパズルを当てはめるような・・・そんな一瞬を希求して言葉を紡ぐ。
勉強と同じだ。
綿々とブログを綴る。
書きたくない日も、書きたい日も、委細関係なく、ただ綿々と綴る。ついていない時のマージャンのように、ただひたすら一瞬の風に耳を澄ませながら、ただひたすら・・・。
ブログも同じだ。
午後10時頃だったか、中3が騒がしかったのだろう、杉野がベースキャンプを2階の廊下の踊り場に移した。
梨央を送っていく時に横を通ると窓が開けっ放しだ。眠たいのか?・・・かといっても寒いだろうに。
帰りにファミマに寄り、少年マガジンがいつの間にか50号までやって来たことに胸が締め付けられるような気持ちになり、今月号の『Simple』に掲載された伊勢の「柚子」の広告、鳥羽の先生が考えたという「ド~ンとタイやヒラメの舞い踊り!」というコピーに気が滅入り、息も絶え絶えでダイドーのコーヒーとマイルドセブンをニ箱買って塾に戻り、駐車場から上を見上げる。2階の踊り場の窓は依然として全開のまま・・・孤高の精神がそこにある。