昨日は来てくれてありがとう。メモには「今日お会いできたら良かったのですが・・・」 俺も本当に会いたかった。
親父さんは三重大学医学部にとって本当に惜しい人だった。本当にリベラルな人だった、これからの三重大学をしょって立つ若いドクターたちのロールモデルとも言える存在だった。
弔辞でカンちゃんが言ってたセリフ、「いろいろあるが、今は目前にあることを一つ一つ解決していこう」 あの言葉には思わず涙が出た。仕事に倦みそうになっている己を振り返った。
今もチャートの参考書のことを話したときの親父さんの困ったような、照れくさそうな表情は瞼から離れない。「花衣は本当によく頑張りました。まあ、チャートはその頑張りに応えたくって・・・僕が家を出るときにはもう塾に行ってるし、僕が寝るときには塾でまだ勉強しているし、本当に本当に頑張った・・・先生、努力してくれる子供をもつ親は幸せですね」 そんなことを言って抱きしめたくなるような愛嬌のある笑顔・・・俺には到底できないあの笑顔、俺は一生忘れない。
君が社会人になって13年、一度会った記憶はある。でもゆっくりと話せなかった。勤務先は大阪日赤と聞いた。偶然、奥さんの親父さんが入院していた病院だ。何度か見舞いに行き、そのたびに産婦人科のナースステーションを窺った。不審者に思われたかもしれない。
「先生もお身体には十分気をつけて、バリバリ仕事してください!!」 メモにそう書いてくれた。ありがとう。しかし、君と過ごした頃の俺は45歳、カラオケ大会で祐輔と大介のツームストン食らって骨折してもヘラヘラ笑ってマイクを離さなかったあのころとは違う。親父さんより1歳上なんやで。
あれから、俺は突発性難聴になり耳が不自由になった。子供たちが話す声が聞こえない。挨拶して帰っていく声が聞こえない・・・つらいな。さらには突発性難聴独特のメニエール病のような症状だ。教室で授業をすると、生徒の顔を見て、ホワイトボードを見て、机の上の教材を見る。その当たり前の視線の動きができない・・・距離感が違うのがいけないのだろう、すぐに吐き気が起こってスラムに沈む。手にはコンビニの袋を手にしてだ。
今の生徒たちは俺が沈んでも気にせずに勉強してくれる・・・ありがたいが、一抹の侘しさはある。それでもこんな半人前がやってる塾に生徒たちが来てくれる。考えることはあの頃と同じ・・・どうすれば、志望の高校や大学へ合格させられるかだ。
奥さんとこの夏に約束した。これから二人で旅行できるのはいつまでか分からない・・・だから、中間試験と期末試験が終わった後には一泊で近場でいいから旅行しようと・・・。あの頃とは違うんだ。いつのまにか軟弱な男になっちまった。
いっぽうの君はいつしか結婚、健斗のお母さんに言わせると、「花衣ちゃん、どこで見つけたんやろ」って言うほどの電撃的な結婚・・・結婚なんて、男の人とお付き合いなんて・・・そんな気配は一切見せなかったからね。そして子供さんを二人授かったんだ。上の子はお葬式では母親にではなく、おばあちゃんにまとわりついていた子だ、かわいい子だった。そのいっぽうで母親の君は気丈にふるまっていた・・・いや、語弊がある。あれは気丈ではない。自然にたおやかに、そして優雅にふるまっていた。ありゃ、天女やな・・・と俺は奥さんに言ったっけ。
10年以上ご無沙汰のウチの塾はどうだった? 相変わらず汚いだろう。でも、気づいた? 塾のドアを開けて・・・初めっから開いていたっけ、そのすぐ左側の壁、写真が貼ってあっただろう。花衣、見た?
懐かしい写真だ。君が高校受験直前、朝の6時にセーラー服姿で塾に来ては勉強し、そのまま学校へ行った・・・あの時の写真だ。お父さんが起きたときには君はいなかった頃の写真だ。
親父さんの足元には到底及ばないが、俺は俺なりに君を愛していたよ。
俺もまた親父さんには及ばないが、俺がいる場所で今俺にできることをするよ。
君とはともに最前線だ。また、会おう。