武大(三重大学院1年)から連絡、すぐに姿を見せた。この時期は当然就職ネタ・・・思ったようにとある企業に内定が出たとか。
その企業は機械という分野で、この国をけん引する企業と言っても過言ではない。本当に良かった・・・全国の4年制大学の機械科の優秀な生徒に授与される畠山賞を受賞してから2年か・・・えっ。あれって2年前?去年か? 確かこのブログでも書いている・・・ここね。
武大はまだ院の1年だ・・・つまり、院進学後に内定はこの時期から出始めるわけだ。さっそく内定に至る院の1年目の流れを聞くことになる。
院進学後の6月にはエントリーの応募が始まる。武大はエントリーするもののくじ引きで落ちる。しかしエントリー者には早期選考に応募する権利があったとかで応募。WEBで夏以降2度の面接を経て、説明会へと駒を進める。これが年明け早々から開始。そしてグループ討論を経て記述試験、次が最終面接だったとか。
企業にもよるが、体育会系よりはチームワークを重視する武大の第一志望の企業はグループ討論に重きを置いていたようだ。あるテーマに2チームが臨み、互いに質問を繰り出す。質問は相手チームであまり発言をしなかった人が集中砲火を浴びることになる。武大には質問は来なかったようで・・・「僕はチームの軌道修正的な立ち位置からそこそこ発言してましたから」
試験に関してはかなりの準備をしていた・・・過去問などを集めて対策を練ったと言う。「近所に憧れの先輩、3歳上の人がいて、高田の文理から現役で金沢工業に進学。ブルーインパルスに魅入られたその先輩は大学の4年間に航空に関して研究、教授から東北大学の院を勧められたとか。そして東北の院からこの企業に就職を果たしたんですよ」
三重大学の先輩やこの憧れの近所の兄ちゃんに連絡を取るなどして十分な前準備をしたのが勝因だと分析する。
「母さんが泣きましてね、良かったって・・・そして浪人して良かったねって」 今から5年前の3月の後期発表の日、奥さんと伊勢の温泉にいた俺にかかってきた1本の電話・・・武大の親父さん。ずっとブログを楽しみに見ていたとか、現役では本人が通塾を嫌がったようだが浪人が決まった今、1年間ウチの塾でお世話になりたいとの内容だった。
「でもアンタ、すべての大学に落ちたんやから、そりゃ浪人せな仕方なかったやん」 「いえ、この塾で浪人生活を送れたことに母も僕も感謝してます。いろんな先輩から話を聞きました。合格して大学生になってもバイトさせていただき、その間も諒先輩(21期生・大同特殊鋼)や他の先輩から、就職についていろいろ教えていただきました。ほかで浪人してたら、将来の仕事や職種について考えることはできなかったと思います」 「嬉しいことを言ってくれるよな、武大」
塾への密航から1年後、三重大学工学部機械に合格。真面目な性格で4年間過ごして、兄ちゃんの影響から東北大学の院を考えていたが、思い直して三重大学の院へと進学。結果的にはこれが良かった・・・
「風力では東大と九州大学が有名なんですが、三重大学には風洞実験施設がありました。この施設を用いての研究はほかの大学ではできないんですよ。これも三重大学の院に進んで良かったと思います」
正直、武大に内定が出た企業はなかなか田舎の大学からは厳しい。しかし、今年の三重大学から武大以外にも一人合格したとか。武大の周りの就職状況はこよなくいいらしい・・・このコロナ禍の時代においてもだ。
その勝因は就職活動への取り組みの早さ、これに尽きると言う。
院の場合は1年目の6月からインターンへのエントリーが始まる・・・裏を返せば、それまでに希望企業をピックアウトしなければならない。つまり院試に合格した段階から翌年の6月までが鍵を握る。
「友達に大学で就職しようとしてできなかったので院に進んだ奴がいるんですよ。だから就職活動がどのようなものか知っている・・・これは大きかった。早く動かなくちゃヤバイ、常々そう言ってましたから」
人よりも早く就職活動をし出すと周りの目が気になるかもしれないが、過去の塾OBで就職がうまくいった奴は総じて動きが早い。それは事実だ。そして今日、武大の話でも裏付けられる。「就職活動は早くから準備すること。これは絶対です」と武大。
星河(29期生・三重大学工学部3年)、心して聞けよ。
武大、オマエにとってのロールモデルだったのは近所の兄ちゃん、でもこれからはオマエがウチの後輩たちのロールモデルになるよ。
本当にありがとう。
家で使っていたリスニングの教材をもう使わないので真ん中の部屋の机の上に紙袋に入れて置いてきたので、よかったら使ってください。
自分にとって励みになる記事です。
息子も何かを感じ取ってくれたら良いのですが。