塾を始めて翌年、ヤンチャそうな二人組が入塾してきた。
ともにかなり悲惨な内申、そして生活習慣に問題もあった・・・南郊中の生徒を数十人引き連れて、生意気な東の生徒をこらしめようと東中正門に集合。東の先生から説得され帰るようにと言われ退散、しかし宮池周辺にたむろしては帰宅中の生徒を一人ひとり確認していく・・・こんなノリもあり、俺は志望高校に入れてやることができなかった。カバンの中にチェーンを隠し持つような3年の後、卒業する縫部と北橋を連れて飲みにいった。今では建物だけが残る近藤眼科の前の店・・・今では考えられないおおらかな時代だ。「社会に入ったらメチャはできやんな」とヤンチャな二人の殊勝なコメントに思わず笑ってしまった。
それから25年後、縫部の息子・樹生也(30期生・クボタ)が塾に密航してきた。「死なへんのやったら何をやってもらっても結構」という条件でだ。2年後、樹生也は農林に進学。息子の進学が決まった数日後に縫部と飲んだ。横にはもう一人のヤンチャ、北橋がはるばる亀山から来てくれた。
この時の写真、場所は『元気』 ちなみに記事はここ。
さて樹生也、農林を愛してたのか?1年留年をして去年卒業。すぐに大阪本社のでの研修、さらにコロナもあり、親父の時のように祝ってやれなかった。
同じ30期生にはやはり3期生の智洋(日産部品)の息子の陸人もいて、2年前に勉強もろくにせずになぜか三重短大に受かってしまい、今は卒業を待つだけ、4月からは社会人だ。そしてやはり30期生の郁弥、ここ最近では一番苦労して勉強を教えた生徒だったが、なんとか近代高専に進学してくれた。その郁弥も先日卒業、そして4月から就職・・・。
そんな3人と飲む。そのなかの2人の親父とは親父の就職時に飲んだセピア色の思い出。今夜はその親父たちの息子と飲む。感慨はある。
これから20年ほどしたら、今日の3人の息子の就職でまたぞろ飲むかもしれない。3世代と飲む・・・儲からない塾だが、なかなか楽しい人生なのかもしれない。
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