NHKの大河ドラマ「平清盛」、
第22回「勝利の代償」の放送が終わりましたね。
これで保元の乱の戦いは一応の幕引きとなります。
結果は崇徳上皇方が敗れ、乱後の沙汰によって
上皇は讃岐に流されることになります。
この崇徳上皇の身近に寄り添い保元の乱を主導した
とされる人物が藤原教長(ふじわらののりなが)です。
今回の大河「平清盛」では、俳優の矢島健一さんが
演じています。
NHKのホームページに矢島さんへのインタヴューが
ありましたので下にリンクを貼っておきます。
http://www.nhk.or.jp/takamatsu/kiyomori/sutoku/interview16.html
実は、この藤原教長、保元の乱の後、
稲敷市浮島にやって来ています。
皆さん、知ってました?
ドラマの中の教長は、崇徳上皇の近くに仕え、
第18回「誕生、後白河帝」では、主人公平清盛を
崇徳上皇方に引き入れようと説得していました。
そして、先日の第22回「勝利の代償」では、
都落ちした崇徳上皇に最後まで付き従っていましたね。
そうです、「あの方」が浮島に来ているのです!
稲敷市浮島には、「西浜観音堂」というところがあり、
教長はここに庵を結び7年の間暮らしたと言われています。
自身の歌集である『貧道集』には、
「かくて常陸の国までによそかあまりにまかりいたりぬ。
いたらんとするところは、したのうきしまとなんまうす
みすうみのほとりにふねにのりけるときによめる
ひをへてもすきし都のつつきそと思ふ岸へをけふそはなるる」
とあります。
都から常陸国まで40日あまり、これから向かうのは
信太の浮島という所。湖の畔で船乗る時に詠んだ歌は
「日を経ても過ぎて来た都の続きだと思ってきたのに
その岸辺を今日ついに離れてしまうのだ…」
というところでしょうか。
この西浜の観音堂には、巨大な杉の木があり、
稲敷市の天然記念物に指定されています。
この木には「教長お手植え」との伝説があるのですが、
はっきりしたことは分かりません。
そしてもう一つ、西浜の観音堂には、「藤原教長の念持仏」
と伝わる木造観音菩薩立像があります。
こちらの方は、製作年代も平安時代末期とのことですから、
「あるいは」実際に教長が日々拝んでいた観音様かも
しれませんね。
ただ、この西浜の観音様は、現在、損傷が酷いことから
観音堂から資料館に遷されて、外気から遮断された展示ケース
の中に安置されています。
この西浜の観音様、近世あたりから子宝を授けてくれる、
そして安産の観音様として地域の人々に信仰されてきました。
観音堂の大杉は古木ながらも力強く、生命力に溢れた
感じもしますので、なるほどと思うこともあります。
むかしむかしの平安時代の終りに、都で起きた「保元の乱」の
当事者の一人、藤原教長の足跡が、この稲敷市にもあるのだなぁ…
と思って大河「平清盛」をご覧になると、ドラマもまた違った
見え方がするのではないでしょうか?
P.S.…実は保元の乱で敗れた源氏の武将がもう一人、
浮島にやってきています…。
そのお話は、また別な機会に…。
第22回「勝利の代償」の放送が終わりましたね。
これで保元の乱の戦いは一応の幕引きとなります。
結果は崇徳上皇方が敗れ、乱後の沙汰によって
上皇は讃岐に流されることになります。
この崇徳上皇の身近に寄り添い保元の乱を主導した
とされる人物が藤原教長(ふじわらののりなが)です。
今回の大河「平清盛」では、俳優の矢島健一さんが
演じています。
NHKのホームページに矢島さんへのインタヴューが
ありましたので下にリンクを貼っておきます。
http://www.nhk.or.jp/takamatsu/kiyomori/sutoku/interview16.html
実は、この藤原教長、保元の乱の後、
稲敷市浮島にやって来ています。
皆さん、知ってました?
ドラマの中の教長は、崇徳上皇の近くに仕え、
第18回「誕生、後白河帝」では、主人公平清盛を
崇徳上皇方に引き入れようと説得していました。
そして、先日の第22回「勝利の代償」では、
都落ちした崇徳上皇に最後まで付き従っていましたね。
そうです、「あの方」が浮島に来ているのです!
稲敷市浮島には、「西浜観音堂」というところがあり、
教長はここに庵を結び7年の間暮らしたと言われています。
自身の歌集である『貧道集』には、
「かくて常陸の国までによそかあまりにまかりいたりぬ。
いたらんとするところは、したのうきしまとなんまうす
みすうみのほとりにふねにのりけるときによめる
ひをへてもすきし都のつつきそと思ふ岸へをけふそはなるる」
とあります。
都から常陸国まで40日あまり、これから向かうのは
信太の浮島という所。湖の畔で船乗る時に詠んだ歌は
「日を経ても過ぎて来た都の続きだと思ってきたのに
その岸辺を今日ついに離れてしまうのだ…」
というところでしょうか。
この西浜の観音堂には、巨大な杉の木があり、
稲敷市の天然記念物に指定されています。
この木には「教長お手植え」との伝説があるのですが、
はっきりしたことは分かりません。
そしてもう一つ、西浜の観音堂には、「藤原教長の念持仏」
と伝わる木造観音菩薩立像があります。
こちらの方は、製作年代も平安時代末期とのことですから、
「あるいは」実際に教長が日々拝んでいた観音様かも
しれませんね。
ただ、この西浜の観音様は、現在、損傷が酷いことから
観音堂から資料館に遷されて、外気から遮断された展示ケース
の中に安置されています。
この西浜の観音様、近世あたりから子宝を授けてくれる、
そして安産の観音様として地域の人々に信仰されてきました。
観音堂の大杉は古木ながらも力強く、生命力に溢れた
感じもしますので、なるほどと思うこともあります。
むかしむかしの平安時代の終りに、都で起きた「保元の乱」の
当事者の一人、藤原教長の足跡が、この稲敷市にもあるのだなぁ…
と思って大河「平清盛」をご覧になると、ドラマもまた違った
見え方がするのではないでしょうか?
P.S.…実は保元の乱で敗れた源氏の武将がもう一人、
浮島にやってきています…。
そのお話は、また別な機会に…。