『時間線をのぼろう』(byロバート・シルヴァーバーグ)、読了。
「タイトルだけで選んでみた」シリーズ。
明らかに時間移動ものだろうと読んでみた。
1969年作。
偶然にも『ふりだしに戻る』と同時代の作品だが、作風は大幅に異なっている。
作中の2059年の世界では、一般人の時間移動が解禁されている。
資格を持つ添乗員の指示の下、決められた日程で旅をする。
大勢の人間があちこちの時間に行きたい放題のため、
いわゆるパラドックスも起こりまくり。というより日常茶飯事。
時間警察が目を光らせているが、もう収拾がついてないように感じる。
同じ時間に同一人物が居ても、接触しなけりゃいいそうだし。
添乗員(作中では「クーリエ」と呼ばれる)は、
別の時間で別人として生活してもOKという無法ぶり。
そもそも人々の倫理観からして壊れ気味。
例えば、性行為のタブーが殆ど無い。
ただ一つ、異なる時間の人を妊娠させる事だけはアウトだそうだが、
それさえ守れば後はいいのだ。
それで主人公のジャドも、自らの先祖にあたる女性と、禁断の恋愛に走る。
が、代償はあまりに大きかった。
自分の客が違反行為した事がきっかけで、ジャドはあっという間に危機に陥る。
ラストシーンは呆気なく、何とも虚しい。
時間移動は、出来る出来ない以前に、
「するべきでない」というのが、やっぱり我が持論です。
それでは。また次回。
「タイトルだけで選んでみた」シリーズ。
明らかに時間移動ものだろうと読んでみた。
1969年作。
偶然にも『ふりだしに戻る』と同時代の作品だが、作風は大幅に異なっている。
作中の2059年の世界では、一般人の時間移動が解禁されている。
資格を持つ添乗員の指示の下、決められた日程で旅をする。
大勢の人間があちこちの時間に行きたい放題のため、
いわゆるパラドックスも起こりまくり。というより日常茶飯事。
時間警察が目を光らせているが、もう収拾がついてないように感じる。
同じ時間に同一人物が居ても、接触しなけりゃいいそうだし。
添乗員(作中では「クーリエ」と呼ばれる)は、
別の時間で別人として生活してもOKという無法ぶり。
そもそも人々の倫理観からして壊れ気味。
例えば、性行為のタブーが殆ど無い。
ただ一つ、異なる時間の人を妊娠させる事だけはアウトだそうだが、
それさえ守れば後はいいのだ。
それで主人公のジャドも、自らの先祖にあたる女性と、禁断の恋愛に走る。
が、代償はあまりに大きかった。
自分の客が違反行為した事がきっかけで、ジャドはあっという間に危機に陥る。
ラストシーンは呆気なく、何とも虚しい。
時間移動は、出来る出来ない以前に、
「するべきでない」というのが、やっぱり我が持論です。
それでは。また次回。