昨日はオットの仕事の関係で、お弁当は無し。
午前中からデパートに母のお買い物のお供♪
店内でも、買い物する時間より、楽しくお喋りしている時間の方が、ずっと長かったかも
昨年まで私の中で、愚かにも親はこうして元気でいるのが当たり前と思っていた。
その年の冬、母が体調を崩すその時まで。
確実に親は年は重ねているのに、なんて身勝手な思い込みだったのだろう。
その日、オットと2人で映画「紙の月」を見終わってフロアーを出て間もなく、父から電話。
お母さんの様子がおかしいから救急車呼んだ。病院に着いたらまた連絡するから、その時はそちらに向かってくれ云々。
私たちは急遽、車を飛ばし実家に行くと
丁度、救急隊の人が担架で母を運んでいるところだった。
「お母さん」
耳元で声掛けしても反応が無い。
私も救急車に一緒に乗り込み、父からその経過を聞く。
同居の姉夫婦も外出中で連絡つかなかったとの事。
少し前から風邪気味で、でも大丈夫だからと買い物に行ったり普通に外出していたとのこと。
それが明け方から急に咳き込み出し、朝までずっと苦しそうだったが、母は近くの医院でも診てもらったし大丈夫だからと。
娘の私に実家に来るように父が電話するからと話すと、
母はこれくらいで心配掛けたくない…と。
それが急に「あら?足が立たない、歩けない、力が入らない…」
そうこうしているうちに、呼びかけにも反応しなくなってしまったとのこと。
ただの風邪だろうと軽く考えていた父は慌てて、母の体に何が起きているのか不安でいっぱいになり救急車を呼んだとのこと。
ショックだった。
なんで…って。
実はそれより少し前、些細なことで母と口論をした。本当に些細なこと。
普段なら、何を言われても受け流してしまうような、どうって事ないこと。
でも
私は、その時に限って母に向かって冷たい言葉を発してしまった。
母の寂しそうな 悲しそうな顔…
その表情を見たとき、私は涙が溢れ罪悪感でいっぱいになった。
母も涙を溜めていた。
「ごめんね、お母さん本当にごめんね」の私の言葉に
母は「いいの。お母さんこそ、ごめんね。
何か美味しいもの食べてから、家に帰ろうね」
母を隣りに乗せ私は車を運転しながら、涙が流れて涙が流れて止まらない。
申し訳無さと母の優しさと、許された安堵感と…
それから数日して私が体調を崩し家で休んでいると
父から電話があり
「お母さんが今『◯◯の〔私〕体調が悪くて可哀想だからヨーグルトやあの子の好きなものを買って家に届けに行く』と…
外も暗くなったから、僕が車で乗せて行くから、ちょっと待ってと言っても、きかずに出掛けてしまった」と…
その連絡を貰い、そんな母の行動を知らなかったとはいえ
申し訳なさでいっぱいに。
携帯も繋がらない
実家から私の自宅への道のりを母を探しながら走っていると、両手に荷物を下げて歩く見慣れた後姿があった。
母だ…。
慌て車を停め
「お母さん、ごめんね、心配かけちゃって、私、全然大丈夫だよ」
との私の言葉に
「元気そうになったね。あーー良かった。安心した。何も食べられなくちゃ可哀想だから、ヨーグルトとかなら大丈夫かなって思って色々買って届ける途中だったの」と。
そのまま母を車に乗せて実家に送り届けた。
そんな事があってから2週間位してからの、救急車の中の母。
あの時、両手に荷物を下げて私の所に届けようと歩く小さな後姿が…
またその数日前に母とケンカした時の寂しそうな悲しそうな母の顔が
ぐるぐると走馬灯の様に目に浮かび
後悔と後悔と後悔で
自分の愚かさに胸が押し潰されそうだった。
結局、肺炎による低酸素状態となり、それによって、この様な症状が出たのだった。幸いにも3週間程で退院でき、すっかり以前の状態に戻ったが、意識がはっきりするまで、またその診断がでるまで気が気ではなかった。
親孝行って、難しいようで簡単
簡単な様で難しい。
でも
親に心配を掛けない事が今の私には一番の親孝行なのかもしれない。
一緒に買い物に出掛けたりランチしたりすると母は
「◯◯ちゃんと、こうしている時間が、本当楽しい。至福の時よ」なんて言ってくれる。
あれからと言うもの、母がムカッとする悪意のない毒舌は以前に増して多いが〔笑〕
気にしない気にしない。
聞こえない聞こえない
ケセラセラ~♪