10月9日付け地元紙の260字弱の記事であるが、従軍慰安婦を特集した2001年のNHK教育テレビの番組が放送直前に大幅に改編された問題で、NHKの現役職員とOB有志が、NHKと民放連でつくる放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会に、改編の真相究明を申し入れたことが8日、分かったそうで、同委員会は10日の会合で、問題の番組を本格的に検証するかどうかを決定する見通し、とあった(まだ、その結果についての記事はないようだが)。
この問題は、お膝元においてすら依然としてくすぶり続けていると言うことだが、その本題についての論はおくとして、「NHKの現役職員」が加わっているということに着目しての傍論をいくつか。
公共放送のあり方が問われた頭首の問題や職員の不祥事などで、受信料の支払い拒否・留保が激増したこともあり、この7月末現在でも260万件に及ぶという。これに対処するため、NHKは、これまでアナウンス効果に重きをおいていた法的措置を、本格化させることにしたという。これがムチとすれば、受信料の引き下げはさしずめアメというところだろうが、こちらのほうは100円も難しいという雰囲気らしい。
NHKは、口を開けば「公共放送の維持・受信料の公平負担」をいうが、これについての「NHKの現役職員」の本意を聞きたいと思う。まずは、受信設備を備えた者は受信契約を結ばなければならないという時代錯誤も甚だしい「放送法」の規定は、組織を支える財政面での手放せない「金棒」と捉えているのだろうか。
公平負担を言うならば、受信料の収納見込みを2013年には80パーセントにしていること自体おかしいとすべきではないのか。受信契約を結ぶべき者の総数を置き、何をおいてもその額を予算表の収納見込み額としなければ「公平負担」の言葉が泣く。
だが、実際はもうそんなことは不可能な時代になっている。別居世帯割引なんてことで取り繕えるようなものではない。契約を結んだ者だけしかNHKの放送を受信出来ないようにしなければならぬ。やろうとすれば簡単なこと。しかし、おくびにもそれを出せないのは、激減するかも知れない受信料収入という影におびえているからではないのか。
次いでは、支出面でのあり方である。収納減と言いながらも、今なお過大経費・不要経費と思われるものが画面にちらつく。では、見えないところではどうなのか。見えるところから推し量って、当たらずとも遠からずとする。これが通念としたものであろう。
不祥事を起こして「飛ぶ鳥」の座をフイにしたものを、嘱託か何かは知らぬが延々と使い続ける。予算・決算は国会承認を受けているを金看板に、「入った金は俺のもの意識」に浸かりきっているのではないのか。どこぞの「○○機関」と同根ではないと言い切れるのか。
さらには目に余るのは、別途受信料を設定している(当然のこととして地上波とは区分経理されていると信ずる)衛星放送の番組予告を流す。系列とは言え別法人の出版物を「お買い求めを」と宣伝する。商業放送とは一線を画すはずの「公共」放送ではなかったのか。蛇足ながら言えば錦の御旗の「公共」とは、電波の公共性を言うのであって「NHKの放送」をさすものではなかろう。
最後に、視聴者の意見・要望を聞くための仕組みは万全か、ということである。鳴り物入りで開く「タウンミーテイング」や、お好きな「有識者会議」。会場に足を運べない人たちや「無識者」の群れは眼中にはないようだが、これらの人たちの声にも耳を傾ける「NHK本体の窓口・仕組み」は絶対に必要だと思うが、どうだろう。
これらに対する「NHKの現役職員」の本音は、「税金」と同質の収入に依存している以上、是非、憚ることなく公言していただきたいものと、「記事」に触発されて思う次第です。
「護憲+BBS」「マスコミ報道を批評する」より
百山
この問題は、お膝元においてすら依然としてくすぶり続けていると言うことだが、その本題についての論はおくとして、「NHKの現役職員」が加わっているということに着目しての傍論をいくつか。
公共放送のあり方が問われた頭首の問題や職員の不祥事などで、受信料の支払い拒否・留保が激増したこともあり、この7月末現在でも260万件に及ぶという。これに対処するため、NHKは、これまでアナウンス効果に重きをおいていた法的措置を、本格化させることにしたという。これがムチとすれば、受信料の引き下げはさしずめアメというところだろうが、こちらのほうは100円も難しいという雰囲気らしい。
NHKは、口を開けば「公共放送の維持・受信料の公平負担」をいうが、これについての「NHKの現役職員」の本意を聞きたいと思う。まずは、受信設備を備えた者は受信契約を結ばなければならないという時代錯誤も甚だしい「放送法」の規定は、組織を支える財政面での手放せない「金棒」と捉えているのだろうか。
公平負担を言うならば、受信料の収納見込みを2013年には80パーセントにしていること自体おかしいとすべきではないのか。受信契約を結ぶべき者の総数を置き、何をおいてもその額を予算表の収納見込み額としなければ「公平負担」の言葉が泣く。
だが、実際はもうそんなことは不可能な時代になっている。別居世帯割引なんてことで取り繕えるようなものではない。契約を結んだ者だけしかNHKの放送を受信出来ないようにしなければならぬ。やろうとすれば簡単なこと。しかし、おくびにもそれを出せないのは、激減するかも知れない受信料収入という影におびえているからではないのか。
次いでは、支出面でのあり方である。収納減と言いながらも、今なお過大経費・不要経費と思われるものが画面にちらつく。では、見えないところではどうなのか。見えるところから推し量って、当たらずとも遠からずとする。これが通念としたものであろう。
不祥事を起こして「飛ぶ鳥」の座をフイにしたものを、嘱託か何かは知らぬが延々と使い続ける。予算・決算は国会承認を受けているを金看板に、「入った金は俺のもの意識」に浸かりきっているのではないのか。どこぞの「○○機関」と同根ではないと言い切れるのか。
さらには目に余るのは、別途受信料を設定している(当然のこととして地上波とは区分経理されていると信ずる)衛星放送の番組予告を流す。系列とは言え別法人の出版物を「お買い求めを」と宣伝する。商業放送とは一線を画すはずの「公共」放送ではなかったのか。蛇足ながら言えば錦の御旗の「公共」とは、電波の公共性を言うのであって「NHKの放送」をさすものではなかろう。
最後に、視聴者の意見・要望を聞くための仕組みは万全か、ということである。鳴り物入りで開く「タウンミーテイング」や、お好きな「有識者会議」。会場に足を運べない人たちや「無識者」の群れは眼中にはないようだが、これらの人たちの声にも耳を傾ける「NHK本体の窓口・仕組み」は絶対に必要だと思うが、どうだろう。
これらに対する「NHKの現役職員」の本音は、「税金」と同質の収入に依存している以上、是非、憚ることなく公言していただきたいものと、「記事」に触発されて思う次第です。
「護憲+BBS」「マスコミ報道を批評する」より
百山