ラグビーワールドカップ。日本チームはベスト8に進出したが、準々決勝で南アフリカに涙を呑んだ。
日本チームの戦いの軌跡を振り返ると、【自由】がいかに大切かと言う事が見えてくる。全てのチームスポーツに共通して言える事だが、戦いの要諦は、いかにしたら、自チームに【自由】を獲得できるかに尽きる。ラグビーと言う競技は、その【自由の争奪戦】の様相が大変良く分かる。
第1戦 ロシア、第二戦 アイルランド、第三戦 サモア、第4戦 スコットランド。この4戦に共通しているのは、日本の柔軟な戦いぶりだった。体格で相手に劣るフォワード戦でも負けず、接点(ブレークダウン)の攻防でも負けなかった。身長で劣るラインアウトも見事に取り切った。ハイパントの攻防も勇気をもって前に飛びあがり、競り負けなかった。
その為、日本チームの長所である早い球出し、スピードに溢れた短いパスの交換でゲイン(前に出る)を切り、臨機応変なキックで相手バックスを混乱に陥れた。
これを一言で言うと、日本チームは【自由】を手に入れ、創造性あふれる攻撃を仕掛け、見事に勝利を手に入れたのである。
ラグビー競技の本質は、陣取りゲーム。まず相手の陣地で勝負をすることが最重要。その為に、痛くて、辛い苛烈な努力をしなければならない。
日本チームの選手が口癖のようにいう「ハードワーク」とは、相手陣地で勝負をし、自チームの選手に【自由】を勝ち取るために自己犠牲も厭わぬ献身的プレーを続ける事を意味する。
これができて初めて創造性あふれる攻撃ができる。ラグビー競技においては、自チームの選手の【自由の領域】が広ければ広いほど攻撃が成功する可能性が高い。そして、攻撃にどんなプレーを選択するか、に選手やチームのセンスが問われる。
オールブラックス(NZ)は創造性とセンスの塊のようなチームである。アイルランドとの試合でのオールブラックスの攻撃は、これぞラグビーのお手本とでもいうべき見事なものだった。
アイルランド得意のフォワード戦でも負けず、生きた球をバックスに供給。その球を、一人一人の選手が創造性に富んだセンス溢れる攻撃手段で生かし切り、アイルランドを完全に翻弄していた。
彼らを見ていると、彼ら一人一人が「自由」に「奔放」にプレーをし、彼ら一人一人が味方の選手のアドリブに見事に反応し、サポートをしていた。
オールブラックスに体現されていたのは、一人一人の自由で個性あふれたプレー選択と、それを可能にする高いスキル。同時に、15人の選手がそれらの個性的なプレー選択に何の迷いもなくサポートしている。そこにはお互いの力量を信頼し、迷いなくサポートする。個人の能力とチーム(組織)としての一体感が矛盾なく存在している。
15人がムカデの足になった、組織と個人のお手本のようなチームだった。
※『15人がムカデの足たれ』 https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/09f558e0dc0c48ea1e26f2456a2354e3
今大会の日本チームもオールブラックスに似た素晴らしいチームだった。予選4試合は、ラグビーのお手本に近い戦いぶりだった。
ただ南アフリカとの試合はそうはいかなかった。理由は単純明快。後半、相手陣で闘えなかった。ブレークダウン(接点)の攻防で負けてしまった。相手のモール攻撃を止められなかった。(体格・フィジカル勝負に持ち込まれた)
日本の勝機は、日本チームがどれだけ【自由】を勝ち取れるかどうかにかかっていた。この【自由】が勝ち取れなかったため、残念ながら勝ちきれなかった。
わたしがラグビー競技から学ぶのは、【自由】というものは、痛くて、辛くて、汚くて、しんどくて、もう辞めたいと思うほどハードワークをしなければ、手に入らない、と言う事だ。痛くて、つらくて、汚くて、しんどくて、を耐えきる努力を重ねなければ手に入らないと言う事である。
15人全員がムカデの足になり、一人一人が自由で、個性的で、創造性あふれるプレーを選択し、それを15人全員でサポートする。組織と個人の双方が生きる、「民主主義」とはそんなものだ、と考える。
南アフリカ戦後半、日本は、自陣に釘付けにされ、チームと個人の自由を奪われ、何の創造性も発揮できなかった。ところが、その日本チームが、アイルランドやスコットランド戦では見事な創造性あふれるプレーを見せた。同じチーム。同じ選手でありながら、天と地ほどの違いがある。如何にチーム全体が【自由】を獲得する事が重要であるかが了解される。
翻って現在の日本を見てみよう。
日本沈没が叫ばれて久しい。日本の各分野で指導者(人間)の劣化が止まらない。この最大の要因は、指導者連中が死に物狂いで【自由】を獲得した経験がなく、地位がもたらす「所与の現実」としての【自由】を手にしているからである。
何の努力もせずに手に入れた『自由』だから、全く大切にしない。ただ、『自分勝手の自由』を振り回している。痛くて、辛くて、汚くて、辞めたいと思うほどしんどくて、それでも懸命に獲得した【自由】なら、そんな粗末な使い方をしない。
自分だけが『自由』で、他者は自分が自由に振る舞うための僕(しもべ)だと勘違いしているから、他者が自分の自由を尊重しない事に腹が立つ。安倍政権の閣僚どもの言説を聞けば、自分の自由だけを語って恬として恥じない連中ばかりだ。
そうではなくて、他者の自由を尊重し、それをサポートする事によって、自分の自由も尊重してもらえるという発想を持たなければならない。
以前、「先憂後楽」と言う言葉を紹介したが、実はラグビー競技に見られる【自由獲得】競争は、この「先憂後楽」の精神に満ちている。
英国やラグビー先進国でラグビーがエリートのスポーツだとされているのは、【自由】獲得に対する心構えがエリートの基礎的資質だとされているからであろう。
英国や欧州の正義が全て正しいとは思わないが、彼らのレーゾンデートルである【自由】の考え方には、血を流して獲得した【自由の精神】に対するきわめて真摯でストイックな考え方に溢れている。
最後にこの国の野党連中に一言いいたい。
政治の戦いの本質は、【権力争奪戦】。権力を把握すると言う事は、自らの政党の政策を実現する【自由】を獲得する事を意味する。
現在の野党の立ち位置は、南アフリカ戦の後半の日本チームと同じだと言う認識がなさすぎる。相手の圧力に負けて、自陣に釘づけにされ、【自由】を失い、何一つ創造性を発揮できない状況に追い込まれている。
相手(自民党)にスキがないわけではない。逆にスキだらけとだと言って良い。ところがラグビーでいう所の捨て身のタックルがない。辛うじて「れいわ新選組」の山本太郎だけが、【消費税廃止】ないし【消費税5%減税】というタックルを連発している。
立憲民主党にしろ、国民民主党にしろ、無所属の野田一派にしろ、過去の自分たちの間違った政策に縛られて、捨て身になり切れない。タックルするのが痛くて厭だと言っている。
彼らは自らの『自由』には敏感だが、国民の『自由』には鈍感。これだけ貧富の格差が拡大し、福祉はカット。医療費は値上げの一途。国民の生活は火の車。国民の生活を第一に考えるなら、過去の自分たちの言説に反していても(どんなに痛くても)、「消費税廃止」ないし「消費税5%減税」の主張に踏み切るべきである。
その政策を打ち出すときには迷ってはならない。思い切りのよいタックルでなければ、相手は倒れない。どんなに痛くても、どんなに倒されても、明快に【消費税廃止】などの政策を語る事である。
痛みをこらえて、捨て身のタックルを繰り返す【野党の戦う姿】にこそ、国民は心を惹かれる。捨て身で闘うからこそ、創造性あふれる戦術が生まれる。参院選の山本太郎の戦術は、彼の捨て身の敢闘精神から生み出されたものだ。そうすると、ラグビーでいうなら、フォワードの捨て身で闘う姿に信頼を寄せるバックスの存在に国民がなる。
捨て身で闘わない野党を国民は応援しない。野党こそ、ラグビー日本代表の献身的敢闘精神に学ぶべきである。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
日本チームの戦いの軌跡を振り返ると、【自由】がいかに大切かと言う事が見えてくる。全てのチームスポーツに共通して言える事だが、戦いの要諦は、いかにしたら、自チームに【自由】を獲得できるかに尽きる。ラグビーと言う競技は、その【自由の争奪戦】の様相が大変良く分かる。
第1戦 ロシア、第二戦 アイルランド、第三戦 サモア、第4戦 スコットランド。この4戦に共通しているのは、日本の柔軟な戦いぶりだった。体格で相手に劣るフォワード戦でも負けず、接点(ブレークダウン)の攻防でも負けなかった。身長で劣るラインアウトも見事に取り切った。ハイパントの攻防も勇気をもって前に飛びあがり、競り負けなかった。
その為、日本チームの長所である早い球出し、スピードに溢れた短いパスの交換でゲイン(前に出る)を切り、臨機応変なキックで相手バックスを混乱に陥れた。
これを一言で言うと、日本チームは【自由】を手に入れ、創造性あふれる攻撃を仕掛け、見事に勝利を手に入れたのである。
ラグビー競技の本質は、陣取りゲーム。まず相手の陣地で勝負をすることが最重要。その為に、痛くて、辛い苛烈な努力をしなければならない。
日本チームの選手が口癖のようにいう「ハードワーク」とは、相手陣地で勝負をし、自チームの選手に【自由】を勝ち取るために自己犠牲も厭わぬ献身的プレーを続ける事を意味する。
これができて初めて創造性あふれる攻撃ができる。ラグビー競技においては、自チームの選手の【自由の領域】が広ければ広いほど攻撃が成功する可能性が高い。そして、攻撃にどんなプレーを選択するか、に選手やチームのセンスが問われる。
オールブラックス(NZ)は創造性とセンスの塊のようなチームである。アイルランドとの試合でのオールブラックスの攻撃は、これぞラグビーのお手本とでもいうべき見事なものだった。
アイルランド得意のフォワード戦でも負けず、生きた球をバックスに供給。その球を、一人一人の選手が創造性に富んだセンス溢れる攻撃手段で生かし切り、アイルランドを完全に翻弄していた。
彼らを見ていると、彼ら一人一人が「自由」に「奔放」にプレーをし、彼ら一人一人が味方の選手のアドリブに見事に反応し、サポートをしていた。
オールブラックスに体現されていたのは、一人一人の自由で個性あふれたプレー選択と、それを可能にする高いスキル。同時に、15人の選手がそれらの個性的なプレー選択に何の迷いもなくサポートしている。そこにはお互いの力量を信頼し、迷いなくサポートする。個人の能力とチーム(組織)としての一体感が矛盾なく存在している。
15人がムカデの足になった、組織と個人のお手本のようなチームだった。
※『15人がムカデの足たれ』 https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/09f558e0dc0c48ea1e26f2456a2354e3
今大会の日本チームもオールブラックスに似た素晴らしいチームだった。予選4試合は、ラグビーのお手本に近い戦いぶりだった。
ただ南アフリカとの試合はそうはいかなかった。理由は単純明快。後半、相手陣で闘えなかった。ブレークダウン(接点)の攻防で負けてしまった。相手のモール攻撃を止められなかった。(体格・フィジカル勝負に持ち込まれた)
日本の勝機は、日本チームがどれだけ【自由】を勝ち取れるかどうかにかかっていた。この【自由】が勝ち取れなかったため、残念ながら勝ちきれなかった。
わたしがラグビー競技から学ぶのは、【自由】というものは、痛くて、辛くて、汚くて、しんどくて、もう辞めたいと思うほどハードワークをしなければ、手に入らない、と言う事だ。痛くて、つらくて、汚くて、しんどくて、を耐えきる努力を重ねなければ手に入らないと言う事である。
15人全員がムカデの足になり、一人一人が自由で、個性的で、創造性あふれるプレーを選択し、それを15人全員でサポートする。組織と個人の双方が生きる、「民主主義」とはそんなものだ、と考える。
南アフリカ戦後半、日本は、自陣に釘付けにされ、チームと個人の自由を奪われ、何の創造性も発揮できなかった。ところが、その日本チームが、アイルランドやスコットランド戦では見事な創造性あふれるプレーを見せた。同じチーム。同じ選手でありながら、天と地ほどの違いがある。如何にチーム全体が【自由】を獲得する事が重要であるかが了解される。
翻って現在の日本を見てみよう。
日本沈没が叫ばれて久しい。日本の各分野で指導者(人間)の劣化が止まらない。この最大の要因は、指導者連中が死に物狂いで【自由】を獲得した経験がなく、地位がもたらす「所与の現実」としての【自由】を手にしているからである。
何の努力もせずに手に入れた『自由』だから、全く大切にしない。ただ、『自分勝手の自由』を振り回している。痛くて、辛くて、汚くて、辞めたいと思うほどしんどくて、それでも懸命に獲得した【自由】なら、そんな粗末な使い方をしない。
自分だけが『自由』で、他者は自分が自由に振る舞うための僕(しもべ)だと勘違いしているから、他者が自分の自由を尊重しない事に腹が立つ。安倍政権の閣僚どもの言説を聞けば、自分の自由だけを語って恬として恥じない連中ばかりだ。
そうではなくて、他者の自由を尊重し、それをサポートする事によって、自分の自由も尊重してもらえるという発想を持たなければならない。
以前、「先憂後楽」と言う言葉を紹介したが、実はラグビー競技に見られる【自由獲得】競争は、この「先憂後楽」の精神に満ちている。
英国やラグビー先進国でラグビーがエリートのスポーツだとされているのは、【自由】獲得に対する心構えがエリートの基礎的資質だとされているからであろう。
英国や欧州の正義が全て正しいとは思わないが、彼らのレーゾンデートルである【自由】の考え方には、血を流して獲得した【自由の精神】に対するきわめて真摯でストイックな考え方に溢れている。
最後にこの国の野党連中に一言いいたい。
政治の戦いの本質は、【権力争奪戦】。権力を把握すると言う事は、自らの政党の政策を実現する【自由】を獲得する事を意味する。
現在の野党の立ち位置は、南アフリカ戦の後半の日本チームと同じだと言う認識がなさすぎる。相手の圧力に負けて、自陣に釘づけにされ、【自由】を失い、何一つ創造性を発揮できない状況に追い込まれている。
相手(自民党)にスキがないわけではない。逆にスキだらけとだと言って良い。ところがラグビーでいう所の捨て身のタックルがない。辛うじて「れいわ新選組」の山本太郎だけが、【消費税廃止】ないし【消費税5%減税】というタックルを連発している。
立憲民主党にしろ、国民民主党にしろ、無所属の野田一派にしろ、過去の自分たちの間違った政策に縛られて、捨て身になり切れない。タックルするのが痛くて厭だと言っている。
彼らは自らの『自由』には敏感だが、国民の『自由』には鈍感。これだけ貧富の格差が拡大し、福祉はカット。医療費は値上げの一途。国民の生活は火の車。国民の生活を第一に考えるなら、過去の自分たちの言説に反していても(どんなに痛くても)、「消費税廃止」ないし「消費税5%減税」の主張に踏み切るべきである。
その政策を打ち出すときには迷ってはならない。思い切りのよいタックルでなければ、相手は倒れない。どんなに痛くても、どんなに倒されても、明快に【消費税廃止】などの政策を語る事である。
痛みをこらえて、捨て身のタックルを繰り返す【野党の戦う姿】にこそ、国民は心を惹かれる。捨て身で闘うからこそ、創造性あふれる戦術が生まれる。参院選の山本太郎の戦術は、彼の捨て身の敢闘精神から生み出されたものだ。そうすると、ラグビーでいうなら、フォワードの捨て身で闘う姿に信頼を寄せるバックスの存在に国民がなる。
捨て身で闘わない野党を国民は応援しない。野党こそ、ラグビー日本代表の献身的敢闘精神に学ぶべきである。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水