1,はじめに
初稿が整っている時点で、岸田首相主導の「処理水」の(IAFAの「安全」というお墨付きがあり?)海洋投棄が始まった、というニュースがあり、初稿の文章構成が影響を受け、精神状態が平静さを失っていた。日本における原発の導入が岸信介の指導で行われたと、山本義隆氏の「論稿」で知っていたからである。
だが、昨日、今日で、初稿の修正ができるはずもない。今回コラムは初稿のままで、書くことにする。その時のライトモチーフは、かなり前にコラム投稿した内容の問題意識から発展させた、現在の日本政治への疑問と提言になるものである。
以前の投稿は、
「日本の戦後政治で、なぜ、東条内閣の閣僚(実は東条政権の知恵袋は岸商工大臣だったと思う)が、55年体制の自民党を発足させ、アメリカの要請で第二次安保改定を決議させた「首相」になることができるのか。敗戦国、ドイツと比較しても、納得できる政治決定とは思えない。」
以上のような論稿であった。
しかし、それだけでは岸信介という「妖怪」と言われている政治家個人の問題で終わり、安倍晋三の祖父という特異な怪物首相のファミリー問題に還元されてしまい、国家の指導者グループなどの政党ぐるみの全体像は「カルト癒着問題のウヤムヤ」の目くらましに片づけられ、日本の憲法政治の危機はオフリミット(立ち入り禁止)で終わることになるだろう。
2,「なぜ、日本政府は憲法秩序を無視して、改憲へと突き進むことができるのか。」
現在の日本政治は安倍政権以降、菅政権、岸田政権と変わってきたが、怪物安倍晋三の敷いた憲法政治からの撤退(安倍は「戦後レジームからの脱却」と嘯く)をさらに前進させた、事実上の憲法規範の破壊工作と言ってよい政治決定となっている。
今回も、福島原発事故という未曽有の大事故の一つを国家自らが引き起こしているにもかかわらず、「処理水」の30年にも及ぶ「海洋投棄」となっている。これが、「唯一の被爆国」とのアリバイ証明:原子力の脅威は人類にとって危機である:を78年間も発言してきた政府の行為なのだろうか。
他にも、日本政治の問題点は多々あるが、これは次回に譲る。
なぜ、日本の戦後政治は岸信介が創設したという自民党政治の長期独走体制なのだろうか。現在の時点で、足踏みして、カルト癒着問題や、影の総理と言われている木原誠二副官房長官のスキャンダルにとどまっているなら、日本の権力構造の「謎」解きは永久に困難だ。
一体、何が問題だったのだろうか。紙幅も残っていないので、「結論」を述べる。
日本の占領改革の大きな目玉となった憲法制定が昭和22年から発布されたが、憲法学者などは、「憲法制定経過」の一悶着に大幅な頁を割いて、松本譲二の指導による日本の憲法改正案は、マッカーサー元帥の怒りを買い、これでは戦前の旧憲法の「焼き直し」であり、この際、わが国が憲法の草案を作ると言わしめた「事件」にかまけており、そのすったもんだの論争に終始している制定経過を書いているだけであった。
私が憲法テキストを読んだのは、法科の学生であり、「そうだったのか」とその時点では溜飲が下がった記憶があるが、現在では、この「連中」(東大学派の憲法学と言ってよい)は政治的な論点を(故意にか、過失からか)外しているな、と思っている、
占領の歴史に戻ると、その時の「日本の状況」はドイツなどと異なり、「間接統治」と言われていた。ところが、間接統治の具体的な中身はテキストには書かれていない。
ここが最大の問題点であるだろう。具体的に言えば、「公職追放」とかいうGHQの措置と戦争指導者を裁く「東京裁判」に目を奪われてしまい、肝心の「間接統治」の当局担当者である、政治家と官僚行政の担い手(官僚制度の担当者たち)は「不問」とされて、戦前、戦中の集団は「無問題」になっていることが理解される。
この階層秩序のトップが「妖怪、岸信介」であり、その下部には相当の人材群がひしめいているのだ。
この時点でのエピソードが「法学雑誌」の対談にあって、記憶しているが、現在の刑事訴訟法の起草段階での裏話が書かれていた。ある検察官曰く「團藤重光先生がまだ来ていないのです」と、ややあって、その検察官は「團藤先生が来ましたので、草案をどうするか話し合いましょうか」となっている。この検察官は私の友人の父親だった。その起草された「刑事訴訟法」には、憲法の「自白禁止条項」の肝心な部分を「例外規定」を置くことで、憲法の人権規定を骨抜きにしている法令となった。(詳細は次回で)
3,終わりに
結局、何を言いたいのか、具体的に明らかにしよう。
戦後の憲法学や政治学には、権力論、つまりパワーポリティクスが欠如していて、論理が詰められておらず、現在にまで続く自民党の憲法形骸化政治がなぜ続いてきたのか、謎が解明できない、使えない論理構成になっているということだ。
明言するならば、戦時と戦後で「権力の交代」がないまま、現在の日本政治があり、相変わらず、戦前の官僚集団の「成れの果て」たちが官僚行政を実行しているという悲惨な政治だということなのである。
今回は問題提起になったが、次回はこの問題提起を具体的な事件と裁判を引用しつつ、具体的に述べることにしたい。
「護憲+コラム」より
名無しの探偵
初稿が整っている時点で、岸田首相主導の「処理水」の(IAFAの「安全」というお墨付きがあり?)海洋投棄が始まった、というニュースがあり、初稿の文章構成が影響を受け、精神状態が平静さを失っていた。日本における原発の導入が岸信介の指導で行われたと、山本義隆氏の「論稿」で知っていたからである。
だが、昨日、今日で、初稿の修正ができるはずもない。今回コラムは初稿のままで、書くことにする。その時のライトモチーフは、かなり前にコラム投稿した内容の問題意識から発展させた、現在の日本政治への疑問と提言になるものである。
以前の投稿は、
「日本の戦後政治で、なぜ、東条内閣の閣僚(実は東条政権の知恵袋は岸商工大臣だったと思う)が、55年体制の自民党を発足させ、アメリカの要請で第二次安保改定を決議させた「首相」になることができるのか。敗戦国、ドイツと比較しても、納得できる政治決定とは思えない。」
以上のような論稿であった。
しかし、それだけでは岸信介という「妖怪」と言われている政治家個人の問題で終わり、安倍晋三の祖父という特異な怪物首相のファミリー問題に還元されてしまい、国家の指導者グループなどの政党ぐるみの全体像は「カルト癒着問題のウヤムヤ」の目くらましに片づけられ、日本の憲法政治の危機はオフリミット(立ち入り禁止)で終わることになるだろう。
2,「なぜ、日本政府は憲法秩序を無視して、改憲へと突き進むことができるのか。」
現在の日本政治は安倍政権以降、菅政権、岸田政権と変わってきたが、怪物安倍晋三の敷いた憲法政治からの撤退(安倍は「戦後レジームからの脱却」と嘯く)をさらに前進させた、事実上の憲法規範の破壊工作と言ってよい政治決定となっている。
今回も、福島原発事故という未曽有の大事故の一つを国家自らが引き起こしているにもかかわらず、「処理水」の30年にも及ぶ「海洋投棄」となっている。これが、「唯一の被爆国」とのアリバイ証明:原子力の脅威は人類にとって危機である:を78年間も発言してきた政府の行為なのだろうか。
他にも、日本政治の問題点は多々あるが、これは次回に譲る。
なぜ、日本の戦後政治は岸信介が創設したという自民党政治の長期独走体制なのだろうか。現在の時点で、足踏みして、カルト癒着問題や、影の総理と言われている木原誠二副官房長官のスキャンダルにとどまっているなら、日本の権力構造の「謎」解きは永久に困難だ。
一体、何が問題だったのだろうか。紙幅も残っていないので、「結論」を述べる。
日本の占領改革の大きな目玉となった憲法制定が昭和22年から発布されたが、憲法学者などは、「憲法制定経過」の一悶着に大幅な頁を割いて、松本譲二の指導による日本の憲法改正案は、マッカーサー元帥の怒りを買い、これでは戦前の旧憲法の「焼き直し」であり、この際、わが国が憲法の草案を作ると言わしめた「事件」にかまけており、そのすったもんだの論争に終始している制定経過を書いているだけであった。
私が憲法テキストを読んだのは、法科の学生であり、「そうだったのか」とその時点では溜飲が下がった記憶があるが、現在では、この「連中」(東大学派の憲法学と言ってよい)は政治的な論点を(故意にか、過失からか)外しているな、と思っている、
占領の歴史に戻ると、その時の「日本の状況」はドイツなどと異なり、「間接統治」と言われていた。ところが、間接統治の具体的な中身はテキストには書かれていない。
ここが最大の問題点であるだろう。具体的に言えば、「公職追放」とかいうGHQの措置と戦争指導者を裁く「東京裁判」に目を奪われてしまい、肝心の「間接統治」の当局担当者である、政治家と官僚行政の担い手(官僚制度の担当者たち)は「不問」とされて、戦前、戦中の集団は「無問題」になっていることが理解される。
この階層秩序のトップが「妖怪、岸信介」であり、その下部には相当の人材群がひしめいているのだ。
この時点でのエピソードが「法学雑誌」の対談にあって、記憶しているが、現在の刑事訴訟法の起草段階での裏話が書かれていた。ある検察官曰く「團藤重光先生がまだ来ていないのです」と、ややあって、その検察官は「團藤先生が来ましたので、草案をどうするか話し合いましょうか」となっている。この検察官は私の友人の父親だった。その起草された「刑事訴訟法」には、憲法の「自白禁止条項」の肝心な部分を「例外規定」を置くことで、憲法の人権規定を骨抜きにしている法令となった。(詳細は次回で)
3,終わりに
結局、何を言いたいのか、具体的に明らかにしよう。
戦後の憲法学や政治学には、権力論、つまりパワーポリティクスが欠如していて、論理が詰められておらず、現在にまで続く自民党の憲法形骸化政治がなぜ続いてきたのか、謎が解明できない、使えない論理構成になっているということだ。
明言するならば、戦時と戦後で「権力の交代」がないまま、現在の日本政治があり、相変わらず、戦前の官僚集団の「成れの果て」たちが官僚行政を実行しているという悲惨な政治だということなのである。
今回は問題提起になったが、次回はこの問題提起を具体的な事件と裁判を引用しつつ、具体的に述べることにしたい。
「護憲+コラム」より
名無しの探偵