在りし日の私の夕飯は、鶏の唐揚げとレンコンの天ぷらだった。
物価高のせいでいただく肉が完全に鶏にシフトしたため、ほぼ毎夕食、鶏料理を作っている。そのほとんどは唐揚げである。
唐揚げと天ぷらの違い。「唐揚げ」=粉をまぶす程度に付けて揚げる。「天ぷら」=衣をつけて揚げる……と言うのだが、唐揚げのつもりで、下味用の酒+醤油を「つゆだく」にし、小麦粉の量を多めにすると、半分天ぷらっぽくなる(唐揚げと天ぷらの雑種)。写真の唐揚げの中で妙に白っぽいヤツがそれである。
この日のレンコンは、4個くらい入って99円だったものが更に半額になったものである。カビがはえてるくらいは覚悟したが、一見、まともである。お買い得であった。
天ぷらの衣は、粉に卵を通すそうだが、わが家ではそんな贅沢は許されないから、水のみである。なお、「天ぷら粉」にはもともと卵が原材料として入っているそうだ。なら、こっちを使った方が経済的(かつ美味しい)だろうか。
唐揚げにしろ天ぷらにしろ油を大量に使うが、残ったヤツは廃油缶に入れて何度も再利用している。この間、その廃油缶を猫がひっくり返して床にぶちまけ、それを猫に舐められたので、対策として、廃油缶をシンクに置くことにした。
これは名案である(「明暗」は漱石の未完の遺作である)。シンクには普段すのこをかぶせているから猫は手をだせないし、廃油を注ぐときにこぼれてもシンクだから問題ない。
「おーいごはんだよ」コーナーで、料理研究家が、材料としてトリ以外に何がいいか聞かれて「カモ」と言ったら「カモはトリだ」と突っ込まれていた。「トリ」を「鳥」と解せば突っ込みは妥当だが、「鶏」と解したならばカモは鶏ではないから突っ込みは的外れである。
家庭で鶏を揚げるときは専ら唐揚げで、天ぷらにしないのはなぜだろう……と思ったが、それは私の思い込みで、世の中には「とり天」と言って、鶏の天ぷらも普通にあるようだ。そもそも、私が作った「鶏の唐揚げと天ぷらの雑種」だって「とり天」に近い代物なのかもしれない。
「ずる天」は、「ずる」の天ぷらではなく、山岸凉子作の名作マンガ「日出処の天子」の略称である。
同様に、「もろ天」は、「もろ」の天ぷらではなく、ハインリヒ・シュッツ作曲の宗教曲「もろもろの天は神の栄光を語り」の略称である(多分、全世界で私だけが使用している略称である)。と書いた以上は、「もろ天」についても書かなければなるまいが、それは回を改めて。
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