モーツァルトとクラリネットと言えば、最晩年に書いたクラリネット五重奏曲とクラリネット協奏曲の二大名曲が頭に浮かぶ。アントン・シュタードラーというクラリネットの名人がいて、その音色に惚れ込んだモーツァルトが彼のために書いたという。それまで、モーツァルトとクラリネットは縁遠かったイメージ。例えば、あのジュピター交響曲にクラリネットのパートはない。クラリネットは新しい楽器で、この頃ようやく実用化されたものだからなぁ、と思っていた。
だが、少し、その登場時期を早める必要がありそうだ。というのも、例によってレーザーディスクのダビングをしていて、直近ではモーツァルトのダ・ポンテ三部作(「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」)を聴いたのだが、たしかに、「フィガロの結婚」のスコアにクラリネットのパートはあることはあるのだが、ほんのちょびっとであり(それでも、そのほんのちょびっとの中に、あの有名なケルビーノの「恋とはどんなものかしら」や伯爵夫人のアリアが入っているのだからモーツァルトの楽器を見る目をさすがである)、オーボエの活躍には遠く及ばない。例えば、第4幕のスザンナのアリアで歌に先立ってメロディーを奏でるのはオーボエである。
ところが、「ドン・ジョヴァンニ」と「コシ・ファン・トゥッテ」では一転クラリネットが大活躍である。多くのアリアで歌とからむのはクラリネットである。「フィガロ」と「ドン・ジョヴァンニ」の間に何かがあったのだろうか?そこで年代を調べてみた。するとこうである。
1779年 シュタードラーがウィーン宮廷楽団と契約。
この間、モーツァルトとシュタードラーが仲良しになる。
1786年 モーツァルトの「フィガロの結婚」がウィーンで初演される。
1787年 シュタードラーがウィーン宮廷楽団に正式に入団する。
1787年 モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」がプラハで初演される。
1788年 モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」のウィーン初演が皇帝の要望にょり宮廷劇場で行われる。
1789年 モーツァルトがクラリネット五重奏曲を作曲。
1790年 モーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」がウィーンで初演される。
1791年 モーツァルトがクラリネット協奏曲を作曲。
このように、モーツァルトがシュタードラーのクラリネットに触発されてクラリネット五重奏曲やクラリネット協奏曲を書いた時期と「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」を書いた時期が相前後している。モーツァルトは以前からシュタードラーとは仲良しだったが、シュタードラーが宮廷劇場に正式に入団して一層その音を身近に聴くようになり、その音に感銘してクラリネットが主役の曲やオペラのクラリネット・パートを書いた、という仮説は悪くない筋書きだと思う。ただし、私は一瞬、シュタードラーの宮廷劇場正式入団の後に「ドン・ジョヴァンニ」が初演されたから、シュタードラーに吹かせるために「ドン・ジョヴァンニ」のクラリネット・パートを書いたに違いないと色めきだったが、考えてみれば「ドン・ジョヴァンニ」の初演地はプラハであり、作曲の段階で皇帝がウィーンでもやれ!と言っていたかどうかは不明である。だから、「シュタードラーのために」書いたとは言わないでおこう。
私はふざけた話が好きだからダ・ポンテ三部作は大好物で数え切れないほど聴いてきたが、クラリネットがこんなに気になったのは今回が初めてである。別に、最近クラリネットをたくさん吹いてるわけではない(毎日吹いてるのはオーボエである)。かように、音楽は聴くたびに新たな発見があるものである。本を読むのも同じである。
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