漫画のキャラクターを実在のレスラーにしたのがブリザードYukiだった。1994年11月、全女の東京ドーム進出における一つの目玉企画だったのだ。正体は長谷川咲恵だが、このためにテコンドーを習ったり、自己のファイト・スタイルを封印した。そのためか、ドームではぎこちなさが目立ったが、2戦目以降は長谷川モードも取り入れ、すっかり吹っ切れたのだ。使用マスクは5枚のみ。そのうち試合で使った3枚は私が所持してい . . . 本文を読む
これはラヨが試合で初めて来日した際に使用したマスクと、右にあるのがラヨの息子がアレナ・メヒコに出場(01年5月)した時の物だ。CMLL JAPANが初めてツアーを行った時、私はいろいろ手伝った御礼として、カカオ経由で入手したのだ。息子は現在、ライマンの名でグアダラハラを拠点に活動中である。
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WWEスーパースター、レイ・ミステリオのマスクは1枚は持っていたい。時代と共にデザインが変化していったが、私が入手したのは1993年1月の事だった。ジミー鈴木とタクシーを相乗りし、テスココという都市まで行ったのだ。所要時間は1時間半位だった。貸切状態で料金はおおよそ、日本円で5,000円位。
そこで初めてミステリオに会い、試合後に入手した。紫のジャージ生地だが、未だ見ぬルチャドールだっただけに . . . 本文を読む
このマスクは2000年9月29日、シウダレマデロで開催されたAAAのビッグイベント「べラノ・デ・エスカンダロ」でシベルネティコが使用したものだ。私は浜田文子とアジャ・コングを連れ大会に参戦させたが、メキシコシティから飛行機で1時間のところにある都市には前日に入っていた。友人のテハノと夕食を共にしたが、これがテハノとは最後に会ったことになった。
マスクは試合直後に、シベルネティコに譲ってもらった . . . 本文を読む
空中殺法の達人としてCMLLで将来を嘱望されていたのが、オロ&プラタの兄弟コンビだ。オロは1993年に試合中のアクシデントで死亡した。その高さのあるトペ・コンヒーロやケブラーダは、まさに絶品。兄弟揃ってユニバーサルにやってきたが、私は何度か食事に誘ったことがあり、こちらがメキシコに行った際はわざわざホテルに訪ねてくれた。オロはいつもヘロヘロな感じだったが、まさか亡くなるとは思わなかった。
この . . . 本文を読む
90年代前半にCMLL、AAAで活躍したミステリオッソはいわゆる中堅ルチャドールだったが、なぜか日本での人気、とりわけマスク人気は高かった。来日はIWA JAPANの一度だけで、この時はすでにピークを過ぎていた。
私は91年~92年にかけ、何度もミステリオッソに会い、マスクを譲り受けた。彼は非常に律儀で、メキシカンには珍しい時間と約束を守る男だった。ボラドールとのタッグは華やかな名チーム。ゴン . . . 本文を読む
1997年夏、CMLL JAPANが招聘したミステル・アギラはまさに、未知のルチャドールだった。日本では無名だったが、その魅惑の空中殺法で一夜にしてファンを驚かせたのだ。このマスクが来日第1戦(中央)を含めた初来日バージョンである。
現在は素顔でイホ・デ・ぺロ・アグアヨ率いるロス・ペロスで活躍中。最近がCMLLを離脱し、新会社を設立するなど活発な動きを見せる。このマスクは懐かしい物だ。
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私がアルシオンを設立した時、真っ先に提携したのがウルティモ・ドラゴン校長率いる闘龍門JAPANだった。ウルティモ校長とはユニバーサルからの旧友。旗揚げ前にタマフカを連れてメキシコに行った際、ナウカルパンにある闘龍門道場に出掛けこの話をまとめたものだ。
提携といっても表だっての交流は、闘龍門の日本上陸シリーズに横浜文体で提供試合を行ったり、アルシオンの大会でミックスマッチを実現したくらいだった。 . . . 本文を読む
かつて結構、積極的にコレクションしていたのがマスクである。基本的には本人仕様でレプリカよりも、使用済みの方が価値がある。メキシコのルチャ・リブレがマスクの宝庫。集めだしたら限度がなく、試合日時、使用メーカー、材質など奥が深いのだ。
さて1回目は、”白覆面の魔王”ザ・デストロイヤーだ。これはメキシコ物ではなく、アメリカ製。それも家族が作成する、本当のハンドメイドだ。白地に黒の縁取りで実にシンプル . . . 本文を読む