ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

元祖トペ、星野勘太郎が永眠

2010年11月28日 09時48分37秒 | ROSSY's EYE
 昨日はラゾーナ川崎に12時間もいました。アイスリボン→パッション・レッドと2大会とも、引退を控えたしもうま和美のためのイベント。2つの大会が連動していたのです。それにしても、このラゾーナは下見で行った時は狭さだけが際立ったが、リングとイスをセットして、照明が当たるとTVスタジオみたいで結構、いい感じ。それでもって客層が都内と違えば、使用する価値はあると思う。
 パッションのことを書こうと思ったが、あの星野勘太郎さんが亡くなったというニュースが入ってきた。最近では魔界倶楽部の総統といったはまり役があったが、元々は突貫小僧と呼ばれたプロレス界の先兵隊みたいな存在だった。昭和45年には、何よりもルチャのテクニックである、トペを初めて日本で披露したお方なのだ。当時はフライング・ヘッドバットと呼ばれ、ジャンプして頭から突っ込む姿に別次元を感じたものだ。フライング・ヘッドバットという名称はそれ以前に、”ドンカスターの岩男”と称されたアルバート・ウオールの得意技であったが、大型でルチャ式とは異なっていた。
 星野さんはマスカラス以前に、ルチャのテクニックを持ち込んだのだ。それはメキシコ遠征で身に付けたもの。おそらく、もっとルチャのテクニックもあったと思うが、メキシコではルードだったから、それほどテクニックを必要としなかったのも事実。マスカラスよりも前に、宙を飛んだことは凄いこと。ただ、スマートさが無かったため、大きなブレイクはしなかった。
 あとはヘッドロックに捕らえてのパンチの連打が印象的だ。これもマスカラスが怒りの表現方法として使っているが、星野さんはボクシング出身というバックボーンが真実味を増した。年々、元レスラーの訃報が多く舞い込むが、これは仕方ないものの淋しいことである。あと10年もすれば昭和という言葉も、懐メロにほど近くなっていく。私は32年間、昭和を味わっただけに今だ、昭和、特に40年代後半から50年代にかけてが一番、ビビッと響くのであある。星野勘太郎さん死に際し、謹んでお悔やみ申し上げます。

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