ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

act21 フレッド・ブラッシー

2009年05月08日 10時20分42秒 | 20世紀スーパースター列伝
 銀髪鬼、バンパイアの異名をほしいままにしたフレッド・ブラッシーは、プロレス界の名伯楽でもあった。ブレイクしたのが40代を過ぎてからで、西海岸のロス・マットでWWA世界王者になり、力道山のライバルとして日本でも浸透。得意の噛みつきは、TVを見ていた老人がショック死を起こす大事件にもなった。技らしい技は、フィニッシュとして多用したネックブリーカー・ドロップくらい。あとは噛みつきと急所打ちで勝利したものだ。私の記憶にある、ジャイアント馬場のインター王座(昭和44年)、アントニオ猪木のUN王座(昭和46年)に挑戦した頃は全盛期を過ぎていた。
 日本人の女性と結婚した大の親日家で、普段は優しいジェントルマン。引退後はWWFでマネジャーとして活躍。日本から遠征したストロング小林やニコリ・ボルコフ、そしてハルク・ホーガンの売り出しに大きな影響を与えたのだ。
 
 

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1 コメント

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本物のプロ。 (たすがれライダー)
2009-05-18 21:15:56
一般家庭のTVがカラー、白黒半々だった時代の黒い血を観てのショック死だったと思います。先日、NHK(なんと)にてグレート東郷等と共に30分のトキュメンタリーを放送していました。駅の階段で突然の求愛を受けた(ビックリしたろうなァ)奥様も出ておられました。
私は、あのケネディ暗殺事件当日、一般紙もスポーツ紙も皆一面がケネディ一色だったとき、東京スポーツ1紙だけ「ブラッシー血だるま」が一面タイトルだったという、高田文夫氏の述壊が印象に残っています。
ヒールに徹し切ったプロフェッショナルでしたね。
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