ブル中野さんの店に行った際、珍しい人にあった。一緒に行った講談社の宣伝企画部担当部長に就任したS氏が、高円寺に住む宇佐川英雄さんを呼んだのだ。宇佐川さんは雑誌フライデー等でアンカーの仕事をしている。このアンカーというのは、取材記者が集めたネタやデータを最終的に文章にする役目だ。だから博学でないと務まらない。以前、月刊プロレス時代にプロレスの原稿も書いていたことで知り合ったのだが、それはもう30年近く前のこと。
宇佐川さんの元妻は、亡くなった井田真木子さんだ。井田さんはノンフィクション作家で、「プロレス少女伝説」という作品で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞したお方。昔、1980年代のデラックス・プロレスで長与千種番というべき存在だった。おおよそプロレス記者とはまったく違う視点で書いた原稿は、多くの読者に感銘を与えたのだ。神取忍も井田さんとは懇意にしていた。
この宇佐川&井田夫妻には私がまだ20代の前半の頃、よく自宅で食事を食べさせてもらっていた。この時のメンバーが週プロの駆け出し編集者だった今の宍倉顧問と、流智美といった同世代の仲間。何をするわけでなく、ただ食事をご馳走になりプロレスの話しをしていた。また井田さんの作る料理はどれも絶品だったことを覚えている。
その井田さんが44歳で不慮の死を遂げた際に、葬式で宇佐川さんと会ったのが9年前。だから9年ぶりに再会したというわけだ。「もう還暦だよ」と言う宇佐川さんだが、いろいろ病気を患ったみたいだが元気そうだった。こうやって昔からの知り合いに会うのは懐かしいし、嬉しい。だからこそ、こちらも頑張っていくしかないのだ。写真が宇佐川さんとのツーショット。
宇佐川さんの元妻は、亡くなった井田真木子さんだ。井田さんはノンフィクション作家で、「プロレス少女伝説」という作品で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞したお方。昔、1980年代のデラックス・プロレスで長与千種番というべき存在だった。おおよそプロレス記者とはまったく違う視点で書いた原稿は、多くの読者に感銘を与えたのだ。神取忍も井田さんとは懇意にしていた。
この宇佐川&井田夫妻には私がまだ20代の前半の頃、よく自宅で食事を食べさせてもらっていた。この時のメンバーが週プロの駆け出し編集者だった今の宍倉顧問と、流智美といった同世代の仲間。何をするわけでなく、ただ食事をご馳走になりプロレスの話しをしていた。また井田さんの作る料理はどれも絶品だったことを覚えている。
その井田さんが44歳で不慮の死を遂げた際に、葬式で宇佐川さんと会ったのが9年前。だから9年ぶりに再会したというわけだ。「もう還暦だよ」と言う宇佐川さんだが、いろいろ病気を患ったみたいだが元気そうだった。こうやって昔からの知り合いに会うのは懐かしいし、嬉しい。だからこそ、こちらも頑張っていくしかないのだ。写真が宇佐川さんとのツーショット。