NWAがその権威をまだまだ光り輝かせていた時代、私が初めて知った世界ヘビー級チャンピオンが”荒法師”ジン・キニスキーだった。昭和40年代前半、キニスキーはブルーノ・サンマルチノと並び、ジャイアント馬場のライバルとして双璧の存在。ラフでタフで、その上に必殺技が幾つもあった。シュミット・バックブリーカー、バック・ドロップ、ジャイアント・スウイング…当時のレスラーはみんな必殺技は一つだけだから、キニスキーはまさに荒業師だったのだ。
NWA世界王者として来日しながら、いつも馬場のインター王座に挑戦した。世界のベルトの方が上なのに、なぜ挑戦するのか?なんて疑問を与えないほど、馬場は絶対王者だったわけだ。その馬場を破って、初めてインターのベルトを海外流失させたのがキニスキーだ。
メキシコ製といわれる黒皮のベルトは最高権威の証。ドリー→レイスと伝承したが、やはりこのベルトが一番似合うのはキニスキーなのだ。