ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

全女時代お世話になった人たち <その1>松永高司会長

2010年08月17日 16時01分09秒 | ROSSY's HISTORY
今から13年前、私は約20年勤めた全女を退社。夢と希望に満ちた旅立ちをしたのだ。今回から数回に渡り、全女時代にお世話になった人たちを思い出してみよう。

<その1>松永高司会長
 ミスター女子プロレス、そしてミスター全女…この人がいなかったら、日本に女子プロレスというカルチャーは根付かなかっただろう。松永会長はマッチメークには関与していなかったが、独特の感性を持っていた。酒・煙草・男性の3禁や、25歳定年制など実態は違っていたが、松永会長が生み出した女子プロレスのキーワードだ。選手は商品であるから、常に新鮮な品揃えをしなくてはならない。一見、温情家のように見えたが、かなりシビアな人だった。
 「実は松永兄弟で一番の短気…」と影では言われてた。実際、松永会長は滅多に怒らないが、怒ったら火山のように大爆発した。私は数えるほどしか怒られたことがないが1度、物を投げられたことがあった。ほとんどの社員は手を挙げられていたと思うが、私は不思議と皆無だった。仮に手を挙げられていたら、どうだったのだろうか…?もしかしたら、辞めていたかもしれない。松永会長はそんな私の性格を知ってか、結構甘かった。何しろ、80年代は人気絶頂期のクラッシュ・ギャルズをマネージメントしていたから、松永会長は「いつも大変だな…」と言いながら、好きにさせてくれていた。90年代も対抗戦時代で確実にヒット興行を繰り返していたから、勝手気ままな我がスタイルを黙認。
 私がアルシオンを設立してから、松永会長の気苦労がわかってきた。同じ経営者同士だから会えば、いつも愚痴をこぼしてきた。「なんだか会長と並んだみたいだ」と勝手に喜んでもみた。松永会長から学んだこと。「選手同士の問題が起きたら、白黒を付けずにグレーにする」など。
 なんだかんだ言っても、松永会長がいなかったら、女子プロレスの世界で生きていくことも無かったし、最大の恩人であることは確かだ。ビジネスマンというよりも、貪欲な商人、THE昭和の偉人だった。

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