ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

NO8 売り出し失敗と営業部転属…

2009年04月03日 12時27分01秒 | ROSSY's HISTORY
  ビューティ・ペア人気の副産物の一つに、練習生の制度があった。これは、地方巡業に出ている間、道場が開いているため、一般に開放するものだ。ほとんど中学生から高校生の女学生が対象となっており、基礎体力だけではなく受身やブリッジを教えていたから、新人選手の登竜門的施設でもあった。それこそ200人以上の会員がいただろう。その中でも、目立っている二人の少女がいた。名前を岩井和子と高橋三奈といった。二人は細身だったがルックスが良く、清楚な感じがしていたため、我々スタッフの間では「次のオーディションでは、この二人が合格する」と睨んでいた。そして昭和54年の新人のオーディションに、岩井と高橋は予想(予定)通り合格した。岩井は、“かっちん”の愛称の17歳、高橋は、“ミーナ”の愛称で16歳…アイドル候補の誕生に私は、デビュー前からパンフレットの中カラーのピンナップに抜てきしてしまったのだ。それも確か、羽田プリンスホテルのプール・サイドで、ビキニ姿で撮影したことを記憶している。
  入社2年目に入って、私はポスターとパンフレットの製作を担当するようになったから、もう自由な発想で撮影からレイアウトまで行っていたものだ。この時はすでにビューティ・ペアのマキ上田が引退し、ジャッキー佐藤がシングルプレイヤーとして活動をしており、観客動員も少しずつ低迷していった。フジテレビの女子プロレス中継で解説をしていた、デイリースポーツの佐藤匠市記者からは、“若き広報”と呼ばれ、広報担当を名乗っていたものだ。
  私は自分の手で、スター選手を育てていきたい、そんな願望が強くなっていたから、この、“かっちん&ミーナ”を勝手にプシュしようとしたが、岩井はデビューしてから、たった2カ月で突然リングを去っていった。それは、私と同期にあたるスタッフの氏家君(リングアナ)と社内恋愛してしまったのである。だから、氏家君も一時的だが会社を離れていた時期があった。狭い世界である。知られていない事だが当時、社内恋愛は多々あったと思う。一人残ったミーナもデビュー半年で、プロレス生活における人間関係に嫌気がさして辞めていくことになった。私の売り出し作戦は、見事に失敗したのだった。
  2年目に入った頃、社内では大きな事件があった。営業部長の中山淳一さん(星野美代子の旦那で中山香里の父=故人)、同じく営業部の斉藤正一さんの二人が辞めることになったのだ。今で言うところのリストラ勧告である。これに怒りと責任を感じた営業本部長の高橋さんも辞表を提出し、4人の営業部のうち3人もが退社する緊急事態が押し寄せたのだ。残ったのは宮本さんだけ。この対策として、リングアナで芸能担当の相沢さん、同じく芸能担当の吉田さん、そして私までもが、「お前ら、全員、明日から営業!」と松永兄弟の一声で、配属移動。
  宮本、相沢、吉田、小川の4人は新たに営業部として、再スタートを切ることになったのだ。営業部の仕事といっても、手売りでチケットを売りさばくのではない。現場(興行地)での椅子並べや会場設営、宣伝カーが主な仕事になり、事務所でのデスクワークは総務部長の黒川さんと経理の津金さんが中心となり、我々は外回り主体となった。プロレスのソフトの仕事がしたくて全女に入社したにも拘らず、訳の分からぬ状態になった、そんな感じがしてならなかった…(つづく)

▲オーディションの一コマ。右から高橋三奈、岩井和子、佐藤ちの。

▲長崎のグラバー邸で、ジャッキー佐藤&クイーン・エンジェルスと。

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1 コメント

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54年デビューは、 (よーすけ)
2009-07-03 06:30:47
佐藤ちの。は53年デビューですよね? 岩井、高橋、川上は54年組なのに、なぜ?佐藤ちのが、居るの?
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