”ロシアの怪豪”と呼ばれ、ニューヨークの帝王ブルーノ・サンマルチノからWWWF世界王座を奪取し、その名を轟かせた実力者。王者としては短期政権だったが、サンマルチノを破った実績がレスラー人生尾を変えたのだ。試合のスタイルはサンマルチノによく似たパワー&ラッシュが売り物。カナディアン・バックブリーカーやベアハッグを得意とした。昭和46年に日本プロレスに来日。その後は国際プロレス、新日本プロレス、全日本プロレス、W★INGにやって来た。国際に来日した際に接したが、意外に小柄で身長は175センチ位だったと記憶する。レスラー晩年はラシアンズのリーダーとして活躍したが…来日時の全体的なランクとしてはシリーズのトップ外国人ながら、関脇クラスといった感じだった。
▲この2枚の写真は私が撮影したもの。
▲この2枚の写真は私が撮影したもの。