ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

女子ガイコク人列伝(最終回)ダーク・エンジェル

2009年02月18日 08時48分59秒 | 女子ガイコク人列伝
1979年3月4日生まれ、カナダ・マニトバ州ウイニペグ出身。160cm、58kg。(得意技)プランチャ・スイシーダ、スーパー・ラナ
 本名サラ・ストック。キックボクシングの経験もあり、02年に地元でデビュー後、ROH、OVWや全米各地、カナダを転戦し、メキシコの北部都市モンテレーに定住。女子団体LLF(ルチャ・リブレ・フィメール)王座を獲得したが、05年夏にCMLLが女子部を再開後にアレナ・メヒコに進出し人気者となる。LLFでは地元モンテレーのプリンセサ・スヘイとライバル関係となり、流血戦もこなす暴れっぷりを見せた。
 当初は目のあたりを隠すマスクを付けていたが、素顔になってから人気が倍増。私はNOSAWA論外からポートレートとプロフィールを預かり、05年10月にさっそく来日させた。体はさほど大きくはないが、とにかく練習好きでマイペースな性格。瑞江の道場から豊洲のアパートに移ってからも月謝を払い、トレーニング・ジムの会員になり、ほとんど毎日通っていた。試合が昼にあれば夜に、早めに夕食を食べれば夜に、といった具合に必ずジムに行くのが日課だった。それも菜食主義ではなく、肉も食べるし、甘いものも好んで食べていた。マスカラスではないが、毎試合コスチュームを代え、そのプロポーションを誇示したが、日本遠征には6着持参してきた。また会場で販売したサイン入りポートレートは飛ぶように売れ、本人もご満悦のようだった。
 ただ、ルチャのできる選手との対戦にめぐまれず、本領を発揮しないまま帰国したが、やっぱりWWE行きを目標にしていたようだ。何度かトライアウトの経験があったが、ディーバにしては体とバストが小さかったことが、入団できない原因なのか…?
 毎年、11月に開催されるアレナ・メヒコでのルチャのボディビル大会では連続優勝。この大会に優勝するために減量し、すごい肉体を創り上げている。ある意味、かなりのストイック。「もの凄くボディビル大会を意識して、あたしにも出場するのか探りを入れてくるんですよ!」。HIROKAはこんなことを言っていた。
 美しいフォームの空中殺法は当代ナンバーワンで、特にスヘイとの絡みは絶品。アレナ・メヒコで見たサラは、素晴らしくカッコ良かった。これは本場に行って見なくては絶対に理解できないと思う。06年9月にメキシコで再会し、パンディータの店でランチを一緒にしたが、私のお気に入りのルチャドールである。最近では「H PARA HOMBRES」なるメキシコ版のプレイボーイ誌で、10ページに渡ってセミヌードを公開。これは背中越しの裸も写していて、ダーク・エンジェルに興味があるファンは必見だ。本人曰く「あれは修正した写真なので、実際には脱いでいないのよ」と。
 08年には2度に渡りメキシコ旅行をしたが、何度かコンタクトを取った。9月に会った際に2009年2月22日に開催する風香祭に参戦が決定。3年3カ月ぶりにサラを招聘することが決まった。「コリアン・バーベキュー(焼肉)を食べに行きたい!」と言っていたが、いよいよ本日の夕刻に再来日する。
※このダーク・エンジェルをもって「女子ガイコク人列伝」を終了します。ご愛読有り難うございました。



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