昔からモンゴル人キャラは、プロレス界でも別格的な存在だった。エル・モンゴル、モンゴリアン・ストンパー、キラー・カーンなどは、朝青龍や白鵬と比べると顔つきが全く違うが、弁髪スタイルがオリジナルなモンゴル人とされていた。今回、紹介するのがモンゴル人タッグチームの草分け、ザ・モンゴルズだ。
初代がジート&ベーポで、昭和40年代後半に「プロレス・アワー」という番組で、毎週その勇姿を見せていた。何しろ日本に来る前からテレビで見ることが出来た、貴重なレスラーだったのだ。モンゴルズはWWWF世界タッグ王者になり、ベーポはサンマルチノのチャレンジャーにも抜てきされた実力者。少年心にサンマルチノが負けてしまうんじゃないか、と思ったほどの桁外れのパワー・ファイターだった。このチームは昭和47年8月、日本プロレスに1度だけ来日した。
ベーポは後にニコリ・ボルコフというロシア系に変身し、ニューヨークのメインクラスに台頭した。残されたジートはボロなるパートナーを連れ、2代目として昭和49年に新日本プロレスに参戦。このボロはマスクド・スーパースター、アックス・デモリッションの前身だった。モンゴルズはトップ・レスラーへの登竜門だったが、ジートの前身はブラックジャック・ダニエルという名前であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/97/b091ed0b3224f406fa4be4216ba7ca33.jpg)
▲ジート&ベーポの初代。
▲ボロが加わった2代目。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/5d/8736a9a306e4a7c4492e28fa9bf959a0.jpg)
▲珍しいモンゴルズのカラー写真。
初代がジート&ベーポで、昭和40年代後半に「プロレス・アワー」という番組で、毎週その勇姿を見せていた。何しろ日本に来る前からテレビで見ることが出来た、貴重なレスラーだったのだ。モンゴルズはWWWF世界タッグ王者になり、ベーポはサンマルチノのチャレンジャーにも抜てきされた実力者。少年心にサンマルチノが負けてしまうんじゃないか、と思ったほどの桁外れのパワー・ファイターだった。このチームは昭和47年8月、日本プロレスに1度だけ来日した。
ベーポは後にニコリ・ボルコフというロシア系に変身し、ニューヨークのメインクラスに台頭した。残されたジートはボロなるパートナーを連れ、2代目として昭和49年に新日本プロレスに参戦。このボロはマスクド・スーパースター、アックス・デモリッションの前身だった。モンゴルズはトップ・レスラーへの登竜門だったが、ジートの前身はブラックジャック・ダニエルという名前であった。
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▲ジート&ベーポの初代。
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▲珍しいモンゴルズのカラー写真。