絵に描いたような興行の世界に生きる親分肌の人。全女の年間250試合に及ぶ興行コースを仕切っていて、全国のプロモーターとの太いパイプを握っていた。何しろ松永兄弟はプロモーターを儲けさせることは頭に無かったから、高橋さんが間に入り舵を取っていたわけだ。そういえば、松永会長に独立を勧めた重要人物でもあるのだ。松永兄弟は絶対、逆らえないパワーを持った全女の守護神。よく兄弟批判をしていたが、真っ向から意見を言えるただ一人だった。私は心・高橋派でいた。
酒・博打・女と、高橋さんは3拍子揃った豪傑で、私は若手の頃はいつも高橋さんの後を着いてまわったものだ。何しろ終電が無くなろうと、店が終わろうとなかなか家に帰してくれない。帰ろうとするとゲンコツが飛んできた。社員の中で私は唯一、最後まで付き合っていたから、酒の席には必ず呼ばれた。土日は仕事よりも競馬を重視していたし、女遊びも盛ん。
男気のある高橋さんは、部下の不始末の責任を取って全女を辞めたが、すぐさまカムバック。2度目に辞めたのは懇意していたイス屋の社長が倒れたため、代行としてイス屋を仕切ることになったからだ。それがリング屋の高橋企画である。もう10年以上も、高橋さんの姿を目にしていないがどうしているのだろう…?
酒・博打・女と、高橋さんは3拍子揃った豪傑で、私は若手の頃はいつも高橋さんの後を着いてまわったものだ。何しろ終電が無くなろうと、店が終わろうとなかなか家に帰してくれない。帰ろうとするとゲンコツが飛んできた。社員の中で私は唯一、最後まで付き合っていたから、酒の席には必ず呼ばれた。土日は仕事よりも競馬を重視していたし、女遊びも盛ん。
男気のある高橋さんは、部下の不始末の責任を取って全女を辞めたが、すぐさまカムバック。2度目に辞めたのは懇意していたイス屋の社長が倒れたため、代行としてイス屋を仕切ることになったからだ。それがリング屋の高橋企画である。もう10年以上も、高橋さんの姿を目にしていないがどうしているのだろう…?