帰国後、毎日時差ぼけで午前5時頃には目が覚めてしまう。あれだけ渡航歴があるものの、こんなことは初めてだ。まあ、それだけ濃い~旅立ったわけだから。おそらく、今後もこんなにも充実した旅は無いと思っている。これは、いろいろセッティングしてくれた大川カメラマンに感謝なのだ。
我々マスカラス世代にとって、忘れてはならないのが実弟シコデリコの存在だ。日本にはたった1度しか来日していないが、ドス・カラスのような華麗さがあったわけではなく、マスカラスの弟という最大の売り物を活かせなかった不運?のルチャドール。日本ではサイコデリコと呼ばれたが、昭和47年1月の日本プロレス「新春チャンピオン・シリーズ」に初来日。結構ゴング誌が事前に売り出したが、“第2のマスカラス”と期待が大き過ぎたため重圧に押し潰された感じだった。それでも、あの竜巻のマスクは懐かしい。
サインも渦を描くようにぐるぐる書かれているほどだ。今回、テリーのことが気になってマスカラスとは挨拶程度しか接していない。その分、シコデリコとの写真は記念に残るのだ。
我々マスカラス世代にとって、忘れてはならないのが実弟シコデリコの存在だ。日本にはたった1度しか来日していないが、ドス・カラスのような華麗さがあったわけではなく、マスカラスの弟という最大の売り物を活かせなかった不運?のルチャドール。日本ではサイコデリコと呼ばれたが、昭和47年1月の日本プロレス「新春チャンピオン・シリーズ」に初来日。結構ゴング誌が事前に売り出したが、“第2のマスカラス”と期待が大き過ぎたため重圧に押し潰された感じだった。それでも、あの竜巻のマスクは懐かしい。
サインも渦を描くようにぐるぐる書かれているほどだ。今回、テリーのことが気になってマスカラスとは挨拶程度しか接していない。その分、シコデリコとの写真は記念に残るのだ。