私の再出発

再出発しなければならないのは私だけではなく、日本を始め世界だと気付きました・・・。

次男の手術(網膜剥離)

2005-11-15 17:22:49 | 次男の病気
今日は間が空いてしまいましたが、次男の手術のこと、書きます。


手術までの10日間で、次男の様子がすっかり変わってしまいました。

段々元気がなくなっていくので、とても心配でした。

歩くのが極端にゆっくりなって、壁伝いに、手すりにつかまりながら

病棟にはその階ごとに、広い休憩室があり、そこにはテレビ、ソファー、

ダイニングテーブルがあり、患者さん、家族、お見舞いに来た人たちが

くつろげる場所で、ガラス張り一面の窓で、とても開放感があり、次男

の病室は上の階だったので、特に眺めが良く、私が病院にいる時間は

殆んどそこで過ごしてました。

でも入院して4、5日たった頃、先生からあまり歩いては行けないと言わ

れたらしく、それからは病室のベッドで過ごしてました

4人部屋で広く明るい病室ではありましたが、次男が男だから、当たり

前だけど周りはおじさんばっかり。50代から70代の。

最初は気疲れしてましたが、おじさんたちは、とても親切で、特に、

次男の年代で目の手術をするのをとても不憫に思ってくれてたようで、

私がいない間、よく声をかけてくれてたようです。

私にもいろいろとアドバイスをしてくれ、いつの間にか、病室にいるのが

苦痛ではなくなってました。

親子共々、やっとおじさんたちになれてきたところだったのに、2、3日

置いて二人が退院、一人が他の病棟に移ってしまい、手術前夜は

次男唯一人・・・。ちょっと寂しそうでした。

ベッドには次の患者さんの名前があるのですが、手術まで間がある人

で担当医からがでてれば、自宅待機可能みたいです。


午後一番の手術なのですが、全身麻酔のため、前夜9時以降から何も

口にしていない次男はお腹空いた・・・と小さい声で愚痴ってました。

手術着に着替え(小さい!)、T字帯(これも小さい!)をつけてもらい

12時30分、車イスに乗って(↑小さいため、股のところがすぐ全開)

いよいよ手術室へ

がんばってねと声をかけ、見送ったあと手術は3~4時間掛かる

ので夫と長男の3人で病院近くの焼肉店へ

次男に申し訳ない気持ちでいっぱいなのと、命に係わる手術ではないに

しろ、何かあったら・・・と心配する私の前で、おかわり自由のスープバー

とドリンクバーに往復する夫と長男

どんな時にもノー天気なこの二人に、はぁ~、まったく・・・って思うこと、

たくさんあるけど、この時はちょっと救われたかな

それからは休憩室で鶴を折りながら、手術が終わるのを待ってたので

すが予定の時間が過ぎても終わらず、ハラハラドキドキ

午後6時過ぎ、看護士さんから手術を終え、今部屋に戻ってきましたよ

と言われ、部屋に行くと、痛々しい次男の姿を見て涙がでそうに

右目は白内障と網膜剥離の両方の手術をしました。かなり進行してた

為、手術しても明るさがわかる程度、手術しなければ失明、見た目も

悪くなる(瞳が小さくなってしまう)。

左目は右目よりはまし!という状態。担当医から手術の説明のあった

日、執刀医は頭を抱え込んで手術のやり方に悩んでました

結局、左目は白内障の手術はしないで、強膜バックリング法という

手術をしました。白内障の手術はこの先、時機をみてやります



その日、1日だけ付き添いの為、病院に泊まりました。向かいのベッド

に、個室から移ってきた50代のKさん一人だけだったので、一言挨拶

しておきました。術後の次男は痛がることもなく、ただうつ伏せ寝が苦

痛のようで、時々うなってました。簡易ベッド借りなかったので、イスに

座りながら、ウトウトする程度。ブラとりたい、ガードルぬぎたい

翌朝足がパンパン。ふとエコノミークラス症候群?思い出してました。



その日隣に、次の日隣の向かいに、60代の人が入院してきて・・・。

次男の入院生活が・・・ガラリと180度変わってしまったのです



長くなったので、続きは次回書きます。

それでは今回はこの辺で














コメント
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